聞こえるか聞こえぬかという低い唸り声を上げながら、銀色の車は走る。
flirtation
「ねえ小十郎」
後部座席で教科書をめくっていたは運転手に静かに声を掛けた。運転手は前のとろ
くさい車に内心舌打ちしながら、いたって穏やかに答える。
「なんでございましょう」
「今日は兄さんがいないでしょ」
「そうですね」
「暇だし、小十郎の部屋に行ってもいい?」
思わず玉突き事故でも起こしかねないようなアクセルを踏みそうになった。
このお嬢さまは、よく何の悪意も無い無理難題を吹っかける天才だ。小さいとき、本当
に小さいときから知っているが、やれ一緒に風呂に入るだの、添い寝をしてくれだの…。
いや、これくらいならまだマシかもしれない。いつだったか、下着を選んでくれと頼まれ
たときはひっくり返りそうになったものだ。
「構いませんが…何もありませんよ」
「たくさん本があるじゃない」
「お嬢さまのお気に召すものがありますかな…」
言いながら、自室を思い浮かべる。部屋中を囲むように取り付けられた本棚には、びっ
しりと本が詰っているが、大体が真面目な…というか、娯楽小説がほとんど無い。あって
も、が喜びそうなものは無いだろう。
「訳のわからない本を読むのも楽しいわ」
それはどういう意味なのだろうか。小十郎は「はあ」と生返事を返す。
「…あ、そうだわ」
が嬉々として声を発すると、小十郎はその後に続く言葉を恐れながら聞いた。
「最近読んだ本の感想を言い合うっていうのはどう?」
「それは宜しゅうございます」
意外とマトモであった返答に安堵しつつ、最後にが発した言葉に、小十郎は車さな
がら低く唸った。
「わたしね、今になって恋愛小説が楽しいのよ」
***
「小十郎の部屋に行くのもなんだか久しぶりね」
二週間前に来たばかりなのに何を言う。このお嬢さまを自室に招くことが嫌いなわけで
はないが、プライベートな空間に他者を入れるということは、それなりにストレスになる。
(しかし、こう慕ってくださるのは幸せなことだ…)
同じように住み込みで使用人をしている人間を何人か知っているが、その中にはこき使
われて死にそうな者、何もするなと言われる者、はたまた四六時中べったりで仕事になら
ない者…など、苦労人が多い。それを思えば、多少破天荒でもそれなりに距離を保ってく
れるこの兄妹は、自分にとって最高の主に違いない。
「どうぞ」
一人がけのソファにを案内すると、彼女はまっすぐに伸ばした背筋はそのままに、
音も無く優雅に座って見せた。突飛な物言いはあったとしても、品のよさは体に染み付い
ている。普段着とは思えないシフォンスカートがひらりと揺れた。
「どこかへ?」
「ん?…話が終わったら、買い物に付き合って欲しいんだけど…いいかしら?」
「わかりました」
は満足げに微笑むと、ティーカップを手にしてソファに深く腰掛けた。
「可愛いわね、このカップ」
ソファの前にある小さなテーブルに、スズランの描かれたカップと、バスケットに入っ
たクッキーが置かれる。彼女の来訪のためにあらかじめ置いてあるものだ。たまに摘まん
だりはしているけれども。
「ありがとうございます」
「あなたって、見た目もいいしよく気のつく性格なのに、なんでお嫁さんが来ないのかしら」
それはあなた方のせいです、と喉にでかかった声を抑える。この人の兄も十分危なっか
しくて放っておけない人間だが、無茶をしているという自覚はある。しかし、このお嬢さ
まときたら、危機感も何もあったものではない。自分が居なければどうなるのだろうか、
などと勝手な想像をしてしまうほどだ。
お嬢さまがお嫁に行かれるまで私も結婚なんぞできません、といっそのこと言ってやろ
うかと思わないでもないが、小さいときに言って泣かせてしまった前科があるのでやめた。
「それで、お嬢さまが読まれた本というのは?」
話が自分に向いて先ほどの呟きも失せたのか、はにこにこと微笑みながら「そうな
のよ」と答える。
「昔は子ども騙しだと思って避けていたモノなんだけどね」
足元から出てきた文庫本は、全部で十冊はあるだろうか。クッキーの隣に置かれた本た
ちは、それぞれが自己主張の強い表紙だった。そのタイトルを見て、すこし体が引いた。
が読むには少しきつい…もとより、内容の濃い恋愛小説のように見受けられる。べ
たべた、というよりも、べたべたが固まってがちがちになった水あめとでも言えばいいの
だろうか。とにかく、胸焼けを起こしそうな甘さに嫉妬と憎悪を足して二を掛けたくらい
の濃さである。
「それですか」
「ええ。タイトルがすごいでしょ。内容も凄いんだけど、本当にこんなことがあったらっ
て、ちょっとワクワクしてしまうわ」
「お嬢さまはそういうのが理想なのですか」
は小十郎の顔を見て、ワンテンポ遅れて答えた。
「一回ぐらいならいいかな、とは思うわ」
「そうですか」
「だって、見た目が良くて地位も名声もあるけど、ちょっとキザったらしい男と、見た目
が良くてすごく尽くしてくれるけど、お金は無い男……両方から猛烈なアプローチを受け
て悩めるのよ?」
「はあ」
少なくとも私はいやです、など言えるわけも無く、ただお嬢さまの言葉に曖昧な返事を
する。
「小十郎はどう?色っぽくてお金持ちだけど、女王さまな女の人と、可愛くて子どもっぽ
いけど、従順な女の人なら」
「は?」
どちらかを選べ、という事なのだろうか。の意図する所が分りかねる。
「お嫁さんにするならどっち?」
「妻ですか」
「そう」
「はあ…」
ようするに、大人の女に尻に敷かれるか、大人しい女を従えるか、ということなのだろ
う。なんという古典的な分類か。
(そんな人は居ないだろう…)
わくわくしながら答えを待つにそうも言えず、小十郎はふむと顎に手をやりながら
答えた。
「そうですね。私なら…」
「うん」
「両方、ですかね」
のぎょっとした顔がよく見える。二股でも掛ける気か、というするどい視線を感じ
ながら、小十郎はにこやかに答えた。
「足して二で割ったら、ちょうどお嬢さんになりますね」
「こ、小十郎!どういう意味ですか!」
「いえ、他意はないのですが」
「……要するに、もう少し私が大人になったら嫁に貰ってくれると?」
それにはこっちが驚いた。他意はないと言った。ただなんとなく、二人の女性を足しで
二で割ったらになるなあと思っただけである。結婚だとか、そういうことは考えては
いない。
「え、あの、ですから他意は…」
「今のままじゃあきっと嫁の貰い手もないでしょうから、もう少し経ったら考えてあげます」
「あの、お嬢さま」
嫁の貰い手が無いなどと、自信を持って言わないでくれ。それに奔走するのは恐らく自
分なのだ。
「なんですか。私では不足?」
「とんでもない!…いえ、そういう問題ではなくて」
「伊達の家を出るのも近いわね」
「お、お嬢さま」
「…兄さんはどういう顔をすると思う?」
はにやりと意地の悪い笑みを湛え、小十郎を見た。趣味の悪い冗談だ、となぜか冷
や汗が背中に伝うのを感じる。もし戯れであっても、主がこの事を聞きでもしたら、自分
はしばらく仕事ができないような気がする。
「さま…」
自分の困り顔を堪能したのか、はけらけらと笑い出した。
「もう、そんな顔しなくったっていいじゃない」
「お戯れが過ぎます」
「別にまるっきり冗談という訳でもないのだけれど」
さらりと言ってのけたに、また頭が痛む。冗談なのか本気なのか、このお嬢さまの
言動は自分の物差しでは計りかねるところが多すぎる。底が知れないことはいい事ではあ
るが。
「政宗さまの前では仰られないように」
「そうねえ」
「私の首が飛びます」
「大げさね!いくら兄さんでもそれはないわ」
それと同等のことが起こるのだ。彼女の知らないところで。
「じゃあ、さっきも言ったけど、買い物に付き合ってくれる?」
「はい」
そんな事でこの話がうやむやになるのなら、喜んで。うきうきと腰を上げながら、
はドアの方へ向かう。それに従うように足を進めると、すんでのところで彼女はくるりと
振り返った。軽やかなステップに、兄譲りの色素の薄い髪と、スカートが舞う。柔らかい
香りが鼻孔を掠めた。
「どうかなさいましたか」
「今日の行き先だけど」
「はい」
「ウェディングドレスでも見に行きましょうか?」
絶句。
言葉を喉の奥から振り絞ろうとするのだが、ぱくぱくと魚のように口を開閉することし
か出来ない。
「お、お嬢」
「白無垢の方がお好み?」
鞄とって来ますね、と言い残して、はするりとドアから抜け出た。
「さま…」
その手の冗談はカンベンしてくれ、と行く前から疲れを感じた小十郎であった。
***後記***
zeroさまからのリクエスト『現代パラレルで伊達家のお嬢様。小十郎は伊達家の執事兼ヒロインと政宗の教
育係。お話の傾向はヒロインに手を焼きつつも甘やかす小十郎』でした!
zeroさま、如何でしたでしょうか?
最近小十郎を書いていなかったのでちょっと苦戦してしまいましたが、現代パラレルでしたので、好きな
ように書きました(笑)
どうも私はお嬢さんキャラにですます抜き言葉を喋らせるのが苦手みたいで、言動があんまりはっちゃけ
られなかったのが心残りです…何回か試みてみたのですが、どうもさせてあげられないorz
こんなものですが、どうぞお納めくだされvヒロイン名はご自由に変更くださいませ。
(zeroさまに限り)煮るなり焼くなりスキにしてくださいね。
リクエストありがとうございました!