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今昔物語―蛍火―


「覚えてるか」
 扇子を振りながら、政宗は開け放たれた襖の向こうに目を遣った。
「何をでございますか」
 小十郎はそれに倣うように視線を追う。
「蛍だよ。藤五郎(成実)と三人で採りに行ったろ」
 ああ、と小十郎は口元を緩める。幼い頃、城を抜け出して蛍採りに行ったのを思い出し
たのだ。
「さんざんお叱りを受けましたな」
「…そういうことは思い出さなくていいんだよ」
 政宗が視線を戻すと「あの時は多秧の奴が蛍を欲しがったんだよな」と呟いた。
「ええ」
 そう、あの時城を抜け出してまで蛍を採りに行ったのは、多秧の願いだったからだ。し
かし彼女は蛍を採って来てくれと自分たちに頼んだわけでも、駄々をこねていた訳でもな
い。政宗と話しているときに蛍がどういうものか知らないと彼女が言ったので、政宗がそ
れを理由に蛍採りに出かけようと二人を引っ張り出したに過ぎない。
「あの時の多秧の喜びよう、覚えてるか」
「もちろんでございます」
 七、八匹の蛍を袋の中に入れて、彼女の部屋に忍んだ事は忘れようとしても忘れられな
い。自分と成実は庭の茂みからその様子を覗いていただけだが、政宗が部屋に蛍を放った
瞬間、多秧の歓声が沸き起こった時は、思わず成実と抱き合った。
「大きなお声で笑われておられましたな」
 常日頃から引っ込み思案で、大きな声を出すということが無い多秧の喜びようは、彼ら
が今まで見たことの無いものだったのだ。その時の少女らしい声の高さが、今でも自分の
耳の奥に残っている。

「お」
 政宗が声を発し、指をさす。小十郎はすぐにそれを追うと、小さな蛍火が、その軌跡を
空に描きながら飛んでいく姿が見えた。

---

「もう、夏でございますわね」
 団扇で多秧を煽ぎながら、侍女は額にじんわりと浮き上がる汗を拭いた。
「ほんとうに」
 むっとした空気の中でも、多秧の周りには冷たい空気が存在しているように見える。彼
女は汗一つ掻かずに、ゆっくり頸をもたげて外を見た。夕日が山に沈み、山際を赤く縁取
っている。
「なにかお持ちしましょうか」
 侍女がそういうと、多秧はくすりと笑って「水でも頂きましょうか、貴女の分も持って
らっしゃい」と言った。
「かしこまりました」
 侍女が立ち上がり、襖を開けて歩き出す。多秧はその音を聞きながら、ふと違う気配を
感じて振り向いた。
「誰かいるのですか」
「失礼しました。姫さま、片倉さまがお越しですがいかがしましょう」
 若い女の声がして、多秧はぱっと表情を変えた。
「お通しして。それと、おけい(先ほどの侍女)に水ではなく茶を持ってくるように言っ
てください」
「かしこまりました」
 女が去ると、多秧は髪や着物を弄って、襖の方を向いた。
 
 
「姫さま、おけいです。片倉さまもご一緒です」
「お入りなさいませ」
 おけいが襖を開くと、そこには見慣れた長身の男が、身を屈めて挨拶した。多秧は彼を
招き入れると、おけいに外で待つように言って彼女を追い出した。
「すっかり暑くなりましたね」
「ええ、本当に」
「体を壊してはいませんか」
「ご心配なく。この小十郎の体が強いことは姫さまもお知りのはず」
 多秧はそうでしたねところころ笑った。小十郎は姫さまこそお体の具合は、と聞き返す
と、彼女は笑ったまま「大事有りませぬ」と言った。

「小十郎」
「なんでしょう」
 ふいに投げかけられた言葉に、小十郎は多秧を見た。彼女の顔は至極真面目で、思わず
美しいと見とれてしまう。
「おぼえていますか」
「…」
 どこかで聴いた言葉だ、と小十郎はうっとりしながらその言葉の続きを待った。この姫
君も、この季節になればむかしの事を思い出すのだろう。あの時垣間見た、まだ固い蕾の
ような少女の姿が思い出されて、小十郎は目を閉じる。
「小さいとき、あにさまとあなたと藤五郎さまがわたくしに蛍を見せに来てくれたことを」
「もちろんです」
 小十郎は目を閉じたまま、笑った。思い出すだけで面映いが、この姫君に入れ込むよう
になったのはちょうど、あの頃からだろう。
「…」
 はにかむ顔の可愛らしさ、笑う声の涼やかさ、全てが小十郎にとって初めての美しさで
あり、彼女こそが自分の初恋なのだと思っていた。この人の美しさを守ることが、おそら
く、片倉小十郎景綱がひとりの男として最も満たされる行為なのだ。
「あの時の蛍は、ほんとうに綺麗でした」
 多秧は視線を虚空に投げると、昔を思い出してうっとりとしていた。いま、彼女の意識
は此処ではなく、兄が蛍を持って来たその時に存在しているようだった。
「…また、蛍を」
 自分の口から出かかった言葉に気付いて、多秧ははっと口を閉じた。小十郎を見れば、
何事も無かったかのように微笑んでいるだけだ。安心したように顔を緩ませて、多秧は小
十郎に「懐かしいですね」と言った。
「ええ。あの頃私たちは幼かった。だから、あのように無謀な真似も出来たのでしょう」
 くすくすと多秧は笑う。そう、あの時茂みから覗いていた四つの瞳を、彼女もちゃんと
覚えている。
「あにさまお一人で、あんなに採れるわけ無いもの」
「成実どのがたくさん採っておられました」
「あなたは?小十郎」
「私は、少し」
 ぱっと視線を下げた小十郎に、多秧は優しい視線を投げる。採るのは手分けしたのだろ
うが、やんちゃ盛りの二人が城を抜け出せたのは、彼のおかげだろう。
「ふふ」
「それ以上は」
「なにも、なにも言いません」
 悪戯が見つかった子どものような小十郎に、多秧はただ微笑みながら「随分暗くなりま
したね」と一人ごちた。



「まっくら」
 多秧は夜の帳が落とされた、暗い外を見ていた。ばんやりと灯りが透けて見えるが、周
りの闇を際立たせるばかりでちっとも明るくない。
「姫さま、灯りをお付けなさいませ」
 おけいが高い声で言った。多秧は聞こえているのか、いないのか、返事もせずに闇を睨
みつけている。
「暗いと曲者もわかりゃしませんわよ」
「曲者なんて、わたくしの所には来ないわ」
 おけいは言い返そうとして、止めた。彼女を狙う者など、遠い昔に一人いただけで、そ
の後は全く見たことが無い。外出しても、襲われたことはおろか、奇異の目で見られたこ
とも無い。多秧の存在は伊達家中であれば知らぬものは無いが、外に出れば存在すら知ら
れていない程、影が薄い。否、政宗が、影を薄くしているからだ。
「姫さまはいつから駄々っ子になりあそばしたのですか」
「…だって、おけい」
 おけいの健康的な肌を見ながら、多秧は彼女らしくないむくれた顔で言った。
「蛍が見えないんですもの」
「あら」
 おけいは意外そうな声を上げて、多秧を見た。多秧はその視線に耐えられずにそっぽを
向いた。
「確かに、お屋敷まで入ってくるのは珍しゅうございますけど」
「でしょう」
「殿は何度も見たと仰られていましたよ」
「…知ってます」
 多秧のむくれた顔は、見ていて微笑ましい。おけいは感情表現があまり多彩ではないこ
の主人に、少しでも笑ったり、怒ったりして欲しいと思っている。できることなら、笑っ
ていて欲しいが。
「殿の所へ行かれませ。ならば、一匹ぐらいは見れるのでは無いですか」
「見れないもの」
「行かれないのでは、見えませぬ」
「だって、あにさまは」
 そう言った多秧の顔が赤いことに気付いたおけいは、すこしばかり考えた後、すぐに、
「愛姫さまの所に行かれているのですね」と言った。
「おけいっ」
「何ですか。間違っておりましたか」
「あ、あ、貴女は…もっと言い方があるでしょう」
「閨と申せば宜しいのですか?」
「も、もう良いです!何も言わなくて宜しい!」
「はい」
 おけいはけろっとした顔で、主人を見ていた。生まれてこの方、兄とその取り巻きの男
どもしか見たことの無い彼女にとって、男女のことをあまり聞く機会が無かった。無知な
訳ではないが、とてもうとい。
「とにかく、姫さまは蛍をご覧になりたいのですね」
「…見えたら明るくなって良いと思っているだけです」
 つん、と多秧はおけいと顔を合わせようとはせずに言った。おけいは「姫さまの意地っ
張り」とからから笑った。


 おけいに散々からかわれ、多秧は不機嫌そうに闇を見た。相変わらず灯りを付けること
はせずにいるので、部屋は暗い。さっきまで賑やかだった話し声も、おけいが出て行って
からは全くだった。
(あの時のように、たくさんの蛍がいれば)
 多秧は夢想した。今この瞬間、あの時の戻れるのならば、戻りたいと。何も知らず、
目の前で起こる事だけに喜び、笑い、幸せを感じていた頃に。
 もう、あの時のようにはなれないのだ。目の前のことに手放しで喜ぶことは、もう出来
ない。

(わたくしは…)
 多秧は胸がつかえた。あの時の蛍火は眼を瞑ればはっきりと思い出されるが、開けば霧
散してしまう。瞼を閉じる。青白い光が目の前をよぎって、思わず手を伸ばした。
「…?」
 瞼の裏に焼きついた、ぼんやりとした灯りとは別に、多秧の前には光るものが見えた。
瞳を開きたいが、開くと消えてしまうかもしれない。思い出の中にふよふよと乱入してき
たそれは、ごく自然に視界から消えた。
「あ、」
 気付けば、瞳を開いていた。しかし、そこには思い出と同じ場景があった。
「ほた、る」
 瞬きしても、それが消えることは無い。多秧は放心したようにそれに見入っていたが、
光が彼女から遠ざかると、立ち上がって追いかけた。

 縁側まで出ると、庭にたくさんの蛍が舞っていた。その美しさは、脳裏に焼きついてい
るものよりも、遥かに幻想的だった。多秧は履物もはかずに、庭に出た。
 彼女の出現に驚いた蛍が、飛び回り、彼女の周りを照らした。
「あ、ああ」
 多秧はぺたりと座り込み、踊る蛍の群れを見る。
(なんて美しい…)
 瞬きを忘れた瞳からはらはらと涙がこぼれてきて、多秧は声を上げて泣いた。
(わたくしはなぜ泣いているの…?)

 へたり込んだ体に、大きな影が当たる。多秧は驚いて振り向く。すると、言葉を発する
間もなく抱きすくめられた。
「どうなされました」
「こ、小十郎?」
 ぎゅうと苦しいほどに締め付けるのは良く見知った男の腕で、多秧はぽかんと間の抜け
た声を出した。対する小十郎は真剣そのもので、暗闇に彼女が奪われないよう守っている
ようだった。
「なにか、曲者が…」
「あ、あの、違います。それより、あなたは何故…」
 苦しそうに声を上げた多秧に気が付いて、小十郎は名残惜しげに腕を離した。そして、
彼女と眼が合うと、ばつの悪そうな顔をして「申し訳有りません」と言った。
「あ、ほたる」
 解放された多秧は、小十郎に声をかけようとしたが、先ほどまで舞っていた蛍が、大分
少なくなっていることに気が付いて、思わず声を上げた。
「…」
 小十郎は多秧の横顔を見ながら、ただ黙っていた。
「あの蛍、もしや」
 多秧は頬についたままの涙を拭いもせずに、小十郎を見た。その顔は驚愕と喜びと恥ず
かしさが混ざり合っていて、なんともおかしな顔だった。
 平伏したままの小十郎の肩に触れる。多秧はめまぐるしく変化する心境に付いて行けず
に、少しばかり間をおいて彼の肩にしな垂れかかり、また泣いた。
 彼女を地に付けないよう、小十郎はゆっくり横抱きにすると、むせび泣いたままの姫君
をあやすようにゆっくり歩いた。少し先に、蛍が止まっていた。
「姫さま」
「…」
「蛍が、姫さまに挨拶を」
 多秧はゆっくりと顔を上げた。そこには、尾を光らせて、多秧と小十郎を見つめる小さ
な蛍がいた。小十郎がその尾に少し触れると、蛍は吃驚して飛んでいった。
「あ」
「御覧なさい」
 小十郎が指を近づけると、多秧はそこに光る指を見て驚いた。闇の中で、彼の指は仄か
に光っている。
「光って…」
「姫さまにもお付けしますか」
「あ…ええ」
 彼の指が、自分の指に擦り付けられる。多秧はふるりと震えて、小十郎を見た。柔らか
く微笑む彼の顔が、そこにあった。

「こうしていると、昔のようです」
 多秧を抱いたまま、小十郎は言った。
「昔、何度か同じような事をしましたね」
「…忘れてください」
 多秧は真っ赤になって俯いた。少女の頃、彼女には恐れているものがあった。それから
逃れるために、何度か彼と散歩に出たことが有り、その帰りに疲れて寝入ってしまった自
分を彼は今のようにして運んでくれたのだった。
「今はもう、大きくなられて」
「大きくなったのは体だけです…」
 赤い顔を隠すように俯いた多秧に、小十郎は笑みを抑えることが出来なくて、それを誤
魔化すように彼女を抱いた。




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ふしぎ~な雰囲気が出ていればいいのですが、どうでしょうか。
不思議っていうかむしろ意味不明かもしんない…そ、そこは皆さんの脳内で好きに妄想し
てください。お願いします…(他力本願)