今昔物語―零れ桜―


 ひらひらと桜が降っている。はぼうっとそれを見つめながら、春の美しい空気を感 じていた。寒く暗い冬は終わり、心を凍えさせていた氷もようやく氷解しかけていた。

「姫さまっ!」
 おおよそ姫付きの女中とは思えぬ足取りで、おけいが襖越しに無遠慮に声をかける。多 秧はそれに声だけで答えると、がらりと襖が開かれて快活な声が飛び込んできた。
「どうしたのです」
「殿のお話を聞いておられますか?花見のお誘い、何故お断りしたのですか」
 肩で息をしているところを見ると、政宗の所まで行ったのであろう。はふうっとた め息を吐くと、そういう気分ではないのと返した。いくら気分がましになったからといっ ても、まだ人がたくさん居る所に行きたいと思えるほど彼女の心は収まっていなかった。
「だからこそでは有りませんか!それに、最近は殿にもお会いしてらっしゃらないのでし ょう?少しぐらい顔見せをなさらないとご心配を掛けますわ」
「分ってはいるのよ…でも、まだ顔を合わせられないわ…」
 どんどん暗くなっていく主人の顔を見て、おけいは黙り込んでしまう。自分とて彼女の 気持ちを知らぬわけではないから、無理強いは出来ない。しかし、あの冬の日からかれこ れ三月も外に出ず、誰にも会わずでは体にも心にも悪いことは明らかである。事の次第を 一番よく知っている忠臣・片倉小十郎は最近ことのほか忙しく、顔見せもままならない。
(片倉さまが来て下さったら、おひいさまも少しは良くなるのだろうけれど…)
 仕事で忙しい男を動かせるほどの力は自分には無い。おけいは不甲斐なさを噛み締めつ つ、なんとかこの姫君の心を動かそうと努力した。
「では、近くを散歩なさったら如何です?お屋敷の中の庭なら、あまり人には会いません わ」
 幾度と無く繰り返してきた言葉。おけいは駄目で元々、いつもどおり明るく言ってみた。
「ありがとう、おけい。でも、本当に外に出たくないの…ごめんなさい」
 そして、あえなく轟沈した。

***

 筆を進めるよりも早くに、頭の中を言の葉がめぐる。
 片倉小十郎はただひたすらに白い紙の上に黒い蛇を連ね、考える余地も無く腕を動かし 続けていた。何を書いているのか、何のために書いているのか、最早分らない。しかし、 なぜだか仕事が山積みで、主人が花見の計画を立てているときですら報告の文を考えてい た。花見どころではないのだ。

 十枚二十枚と重ねられていく蛇の目の白い紙。小十郎は今書いている紙に蛇を書き終え ると、肩をほぐすために立ち上がり、縁側まで腕を回しながら歩いた。
「いい天気だ…」
 ぽかぽかとした日差しは完全なる春の訪れを示していた。散る花びらも美しく、狭い庭 に桜色の道を作っていた。
 はらりはらりと散る花びら。小十郎はくるくる回りながらゆっくりと落ちていくそれを 見ながら、か弱い背中を思い出した。華奢で、小さな白い背中を。
(最近お目通りしていない…随分長く外へ出てこられていないようだが…)
 過去の事をとやかく言う輩はほぼ皆無となり、彼女が周りを心配する事ももう無いのだ が、やはり傷は傷。そうそう癒えるものではない。
(少しぐらい顔をお見せしたほうが良いか)
 彼女が件のことについて心を許しているのはどうやら自分だけのようだから。小十郎は 蛇の目の紙に目をやって、大きくため息を吐いた。


 物思いに耽っていると、襖越しに声を掛けられた。
「旦那さま」
「なんだ」
「殿がお呼びでございます」
「…わかった。すぐ行く」
 ぐるぐる回していた腕を下ろし、小十郎は身なりを整えて部屋を出た。



「おう、急に呼び出して悪かった」
「いいえ」
 あまり顔色のよろしくない主人を見ながら、小十郎は「何でございましょう」と問うた。
「ああ。花見のことでな」
「花見」
 政宗はばつの悪そうな顔を彼に向け、「頼みたいことがあるんだがよ」と言った。
「なんなりと」
「うん…お前もの事は知ってるだろ?ずっと部屋に篭りっきりなんだ」
「存じております」
「今度の花見の時に、お前から誘ってやって欲しいんだ」
「わたくしが、ですか?」
 政宗は頬を掻きながら、ああと言って俯いた。
「この前俺が誘ったら、断られた」
「…」
 小十郎は暗い面持ちで呟く主人を見ながら、ああ、と声を出しそうになるのを抑えた。 あの姫君の心は、思いのほか硬く閉ざされてしまっているらしい。そして、それが主人に も少なからず影響を与えている。
「まだ沈んだままみたいでな…どうも俺では効き目が無いらしいから、お前に頼みたい」
「…殿に出来なかったことがわたくしに出来ましょうか」
 政宗はついと顔を上げて、視線を小十郎にやった。小十郎はそれから逃れるかのように 顔を背ける。
「口惜しいが、あいつのことを一番よくわかってやれるのはおまえだと俺は思ってる」
「そのようなことは…」
「ある。あいつと俺は血の繋がりは無くとも兄妹だ。わかってやれる部分の方が多いが、 やはり家族だからこそどうしても見せられない所はある。だが、おまえにはそれが無い」
「…」
 他人だからこそ出来ることがある、政宗はそう言っているのだった。小十郎は顔を上げ ることが出来ずに、ぎりっと唇を噛んだ。
「…こういうことはもっとめでたいときに言いたいんだが…」
 政宗が言葉を濁すと、小十郎は畏まってただただ言葉を待った。
「おまえに、姫の事を頼みたい」
 がん、と頭に衝撃が走った。今まで彼女の相手をしてきたつもりだが、それ以上のこと をこの主人は望んでいるらしい。
「なりません」
「…逆らうのか?」
 政宗は幾分か驚いた様子で声を上げた。二人とも何処からどうみても恋人同士なのに、 いまさらそれを拒むのか。
「姫さまがお望みではないでしょう」
 政宗は眉をぴくりと動かして、小十郎を見た。
「本気で言ってるのか」
 怒りすら孕んだその言葉に、小十郎はただ平伏したままの格好で「わたくしにはとても」 と呟いた。
「俺はあいつを他所にやる気はねえ。それはお前も分ってるはずだ。傷つけられた女が他 所にいきゃあ、伊達はもちろんあいつも何言われたもんだかわかんねえからだ」
「…」
 小十郎は激昂しかけている若い竜をとどめる事が出来ず、頭を下げたままそれを聞いた。
「そうなりゃ一生独り身か、ウチの誰かに娶らせるしかねえ…だが、あんなことがあって 一人で生きていけるほどあいつは強かねえ。そういうことは一番知ってるんじゃないのか」
 ええ、小十郎、と政宗は啖呵を切る様に彼に鋭い視線を向けた。片目とはいえ、そこか ら滲み出る怒りと焦りと心配は、並々ならぬものである。
「…しかし」
 だん、と目の前に長い刀が突き刺さる。小十郎は驚愕して思わず後ずさり、主人を見た。
「政宗さま…」
がいいといえばいくのか」
「…姫さまがい望みとあらば」
「てめえから行く気は無いのか?」
 仁王立ちになって彼の前に立ちふさがる政宗は、悪鬼のような顔をして小十郎を見下ろ している。
「…」
 黙りこんだ小十郎にすっと顔色を元に戻した政宗は、突き刺さった刀を引き抜くと、背 中を向けてその場に座り込んだ。どしん、と音がした。
の事は、なんとも思ってなかったのか」
 政宗の弱い声音に、小十郎は弾かれたように顔を上げた。そうではない、と喉から言葉 が出かけた。しかし、それはひゅうと喉から息が漏れただけで、言葉にはならなかった。
「あいつの顔は、お前と居る時が一番女らしかった」
「…」
「昔からずっとそうだった。年上のお前に興味津々で…一緒にいたいのに自分は女だから そこに入ることもできず、ただ毎日お前と遊ぶ俺を見てるだけ。俺が帰ったらあいつ、お 前のことばっかり聞くんだぜ」
 小十郎は目を丸くした。遠目から見て思いを馳せていたのは、自分だけではなかったの だ。
「蛍の時も、茂みに隠れてたお前らのことちゃんと見てて、お礼をしないとって一人では しゃいで…」
 小十郎は目頭が熱くなった。幼い頃より慕っていた小さな姫君。今はもう小さくは無い けれど、幼い頃より恋焦がれているあの少女。小さな背中、揺れる髪、笑う顔、そしてな により自分を呼ぶあの可愛らしい声。何もかもが閉じ込めてしまいたいぐらいに美しく、 儚い、まるで、桜のようなひと。
「あいつはきっと、お前にあった日から、お前が居ないと駄目だったんだ」
 もしかしたら生まれる前からそうなのかもしれないな、と政宗は半ば笑うような声で言 った。その声は、少し掠れていた。
 小十郎は、何も言わずただ主人の背中を見つめていた。

***

「姫さま!姫さま!」
「なんですかおけい、騒々しいですよ」
 は幾分うんざりした声で言った。しかし、おけいの興奮はそれでは収まらず、襖を 開け、赤い顔で言った。
「片倉さまがお見えです」
「!」
 は身を抱きしめるようにして「気分が優れないといって」と怯えたように呟いた。
「何を仰います!折角来て下さったのに!それに、大事なお話があるから是非と仰られて いるのです。おいそれと追い返すわけには参りませんわ!」
 おけいが叱るようにに言うと、は懇願の瞳を彼女に向けた。しかし、おけいは ふんぞり返ったまま彼女を見るばかりで、一向に口を開こうともしない。
「おけい、お願いよ…」
「いいえ、今回ばかりはおけいも引きませぬ。一度お話になられないと」
「…会うのが怖いの。このような体になって、再び会うのが」
「なればこそです!片倉さまは今まで、姫さまの全てを受け取ってくださったではありま せんか。これからもそうです。あの方は、姫さまのために…」
 おけいは興奮して思わず叫んだ。しかし、その後の言葉は遮られた。

「おけい、気持ちは嬉しいが、その後は俺に言わせてもらえんか」
「片倉さま!」
 驚く二人を他所に、小十郎はうやうやしく礼を取り挨拶した。
「姫さま、突然参って申し訳有りません。しかし、どうしてもお話いたしたきことがあり まして…」
「な、何事ですか」
 上擦った声を抑えることが出来ず、は小十郎を見つめたまま固まっていた。小十郎 はおけいに目配せして彼女を追い出すと、後ろ手に襖を閉めて彼女に寄った。
「!」
 咄嗟にが体を引く。小十郎はそのままの距離を保ち、頭を下げたまま言った。
「不肖、片倉小十郎景綱、姫さまを我妻といたしたく馳せ参じた次第にございまする」
 は雷に打たれたように固まって、下げられたままの頭を見つめた。いま、この男は 何と言ったのであろうか。
「つ、ま?」
 はふるふると震えながら反芻した。いったい目の前で何が起こっているのかさっぱ り分らない。
「あ、あの、わたくし」
 返答にすっかり困ってしまったは、嬉しいやら困ったやらで泣きそうになるのを抑 えながら俯いた。すると、今度は小十郎が顔を上げ、の手を掴んで言った。
「お返事を、お聞かせ願いますか」
 後ずさろうとするが、体に力が入らないのだろうか。はぶんぶんと頭を振ってなん
とかその手から逃れようともがいた。しかし、小十郎は意地でも離さぬといった具合に、 ぐいとその手を引いた。
「や、やめて」
 引き入れられた腕の中では身を動かしたが、全くの無意味であった。
「長い間…ほんとうに長い間、お慕い申し上げておりました」
 は耳の奥に響く低い声に震えながら、逃れようと動かしていた体を止めた。
「しかし所詮は家臣と主、思いが伝わることなど無いと思うておりました」
 自分を抱く彼の手が小さく震えていることに気がついたは、ゆっくり顔を上げた。
そこには、とてつもなく優しい顔をしている小十郎がいた。
「姫さまは…」
 小十郎が言葉を濁すと、は気づかぬうちに流れ出ていた涙を拭うこともせず、彼の
胸に顔を押し付けた。そして、くぐもった声でもってちいさく、わたくしも、と答えた。
「わたくしも、幼い頃からあなたばかりを見ていました。あにさまたちと常に共にあるあ なたを…いつしか、好きだと思うようになったのです」
 紡がれる柔らかい言の葉に、小十郎はうっとりと聞き入る。これ以上に至福の時がある だろうか。
「ずっと思っていました…あなたが、私だけを見てくれないかと」
「…」
「しかし、わたくしは伊達の娘。あなたと共になること、容易では有りませんでした…… あの日が、忌々しいあの日がなければ、あなたと共になれなかったのですね…」
 腕の中で、はちいさく泣いているようだった。身も心も抉られるような惨状は、ほ んの小さな光を彼と彼女の中に残したらしい。小十郎はきつく彼女を抱きしめると、耳元 で小さく囁いた。
「もう、お一人で泣かれずともよいのです。これからはずっとお側に居ります」
「ひとり、では…」
「そうです。もう一人ではありませぬ。小十郎が死ぬまで共にあります」
 は感極まってぐすぐすとしゃくりあげた。髪を撫でる彼の手が、なんとも心地よい。
「これからは悲しみも喜びも、すべて姫さまと共に…」

 柔らかい黒髪を撫ぜながら、小十郎は少しだけ開かれた障子の向こうを見た。そこには、 咲き乱れた桜が二人を祝福するかのように舞い踊っていた。








-後記-

お、終わった…
これで今昔物語は終わりです。最後の方はなんとなく展開が速くて、いまいち乗り切らな いところがあるかもしれませんが、私の文章力ではこれが限度です…
最初はもっと切ない、というか悲恋になる筈だったんですけど、書いてるうちにハッピーエンドに なっちゃいました。これはこれで割りと好きな終わり方なんですが…
途中がかなり暗かったので、私の内なる声が、どうも明るい方向へもって行きたかったみたいです(笑)

最後で政宗兄ちゃんも言いたいこといえたし、こじゅろもやっと煮え切らない態度をハッキリさせたし。 ワタシとしては割と書きたい事が書けたかなと思っております。
一番煮え切らないのはヒロインのような気もしますが…まあ、それは皆さんの脳内にお任せしたいと思います(ぇ

おも〜い話をここまで読んで頂いて、どうもありがとうございました。