元就は、温かい日差しが降り注ぐ縁側でくつろぐ妻の背中を見た。 「そなたはいつでも笑うておるな」 にこにこと微笑を絶やさない妻に元就は言った。その顔は真剣そのものである。 それと言うのも、この女子が自分の前で怒ったり泣いたりしたのを見たことがないから だ。いつでも帰ればその笑顔が自分を迎えてくれる。とても喜ばしいことだが、怒ったり 泣いたりしている顔を一度で良いから見てみたいと思わないでもない。 「はそれしかできませぬゆえ」 がそう答えると、元就は納得していない様子で彼女を見た。 「が泣いては皆が心配し、怒れば皆たじろぎます。それに、は怒ったり泣いたり するよりも笑っているのが好きです」 そう言って、は満面の笑みを浮かべる。しかし、その笑顔はそれ以上の質疑を一切 受け付けないという空気を生み出している。元就はそんな妻の様子を見ながら彼女の隣に 座り、何の前触れも無く彼女の膝に頭を乗せた。 「あらあら」 ころころと鈴を転がすような笑い声が聞こえると、優しく髪を撫でる感触に元就はそっ と眼を閉じる。そして「我が死した後もは笑いやるか」と眼を閉じ呟いた。 それにはも驚いたように眼を一瞬見開いて、すぐに悲しそうな顔をした。 黙りこくった妻を細く眼を開けて見た元就は、その顔が大いに歪んでいるのを見て眉間 に皺を寄せる。 「は、は元就さまのお傍に居るからこそ笑うのです」 「先は皆が困るからといったろう」 「元就さまは意地がお悪いです!は…元就さまが居なくなることなど考えたくも有り ませぬ」 膝の上に夫の頭を乗せたまま、美伊は先ほどよりも酷い顔で睨む。その顔は、いまにも 双眸から涙がこぼれ、口からは嗚咽が聞こえてきそうなほどに歪んでいる。 特にひどいことを言ったつもりは無いのだが、は気に入らなかったらしい。元就は いよいよ泣き出しそうになってきたをその切れ長の瞳に映しながら逡巡した。 「は、元就さまの心を癒すために有ると考えております…元就さまがの笑いをお 嫌いなのでしたら、すぐにでも止めます」 の突拍子も無い言葉を聞いて、元就は「やめよ」と思わず口走った。いくら彼女の 泣き顔に興味があるといっても、いつも自分を迎えてくれるあの笑顔が無くなるなど想像 したくも無い。 「今までどおりでよい。そなたは我にだけ笑っておればよいのだ」 それを聞いたの顔の変わりようと言ったら! 元就は思わず口元が上がるのを感じたが無理やり押しとどめ、いたって冷静に振舞った。 「元就さま」 「なんだ」 「は笑うておりまする」 「ああ…それで良い」 再び眼を閉じ、元就は息が掛かるほどの顔が近くなったを感じてすこし顔を強張ら せた。の匂いがする。甘くて柔らかい、なんとも心地のよい香り。 「」 「なんでしょう」 元就は目を瞑ったまま美伊の腕を自分の方に引いた。元就の行動がどういう事を意味 するのかをある意味本人よりも熟知しているは、ふわりと微笑んで頬と髪を撫でた。 「ふふ」 撫でられた猫のような顔をする元就に、はおもわず声を漏らす。素直でなかったり 意地が悪かったりする所はあるが、すべては彼なりの愛情表現なのだ。 「」 「なんでしょう」 「…笑っている方がよい」 「はい」 「だが、泣きたい時は泣け。怒る時は怒れ。我の前ならばそれも良かろう」 「…はい」 は眼を瞑り無防備に撫でられながら言葉を発する夫を見て、顔を歪めた。しかし、 それは満面の笑みに涙が加わっただけのものであった。 -------------------------------------------------------------------------------- 元就の嫁さんは絶対ほえほえの癒し系(癒し系とか久しぶりに言った)が良い!と思って 書きました。 ちなみに、デフォルト名は永井路子の『山霧』から美伊としました。『山霧』の美伊とは 結構異なりますけれど(汗)