かしかり
「三成さま」
文机で手慰みに書物を捲っていた三成は、妻の声を聞いて振り返らずに「なんだ」と答
えた。やらなければならない事が山のようにあるが、今日はどうも乗り気にならない。そ
の板ばさみのなかで、どうも不機嫌になっているようだ。素っ気無く吐き出された言葉にが気を悪くしやしないかと、少しだけ不安になる。
「頼まれておりました着流しが出来ました」
しかし、この女房殿はよく出来ている。自分の素っ気無い言葉を意にも介さず、むしろ、
華やいだ声で返事をした。
「そうか」
そういえば前にに頼んでいたのだ。着流しの数が足りないから、一着作ってくれと。
色目だけを注文して、模様は好きにしろと言ったのだが、果たしてどんなものが出来たのだ
ろうか。機嫌が良いとは言えなかったが、自分が頼んだものであるし、一応は見ておこうと
振り返った。
「どれ、見せてくれ」
「はい」
少し恥ずかしそうに両の手を差し出す妻に苦笑しながら、その手の上にある着流しを見
る。薄萌黄の渋い色合いがなんとも落ち着いた雰囲気を醸し出す、さらりと良く風を通し
そうなものがそこにあった。
「ほう」
「お気に召しましたでしょうか」
上目遣いに反応を伺う妻に、三成は口の端をすこしだけ上げて微笑んだ。薄萌黄の色ば
かりに目を取られていたが、良く見ればうっすらと檜垣の模様が見える。「きれいにでき
ている」と声を掛ければ、はみるみる内に顔を紅潮させて微笑んだ。その笑顔に自分
も思わず笑みがこぼれる。
己の妻を評してなんではあるが、は可愛い。ころころと表情が変わるかと思えば、
妙な所で落ち着いていて、自分を力づけてくれる。何かにつけて自分を支えてくれる良き
妻なのである。
「は針仕事が上手だな」
「ありがとうございます」
「着ても良いか」
着流しを持って立ち上がった夫に、は目を丸くして驚いた。
「今でございますか」
「ああ。駄目か」
「いいえ。でも、お仕事が」
その言葉を聞いた途端、三成の目がすうっと細められた。は思わず身を引く。こん
な顔をするときの夫は、決まって機嫌がよろしくない。
「かまわんさ」
「わかりました。お手伝い致します」
「頼む」
***
「きつい所はございませぬか」
「いや、ぴったりだな」
着終わって、肩やら腰やらを動かしてみる。どこにも異常はない。こうもぴったりに作
れるものなのか、と感心しながらを見た。は自分の背中を見つめながらちょこち
ょこと帯の辺りを触っている。
「大丈夫だぞ」
「あ、はい」
が手を離したので、彼女の方を向く。は嬉しそうな顔で「良くお似合いです」
と笑う。
「そうか。作ったお前が言うのなら、そうなのだろうな」
「御覧になります?」
が小さな鏡を渡してくれた。全体を映すことは出来ないが、顔と胸の辺りなら見る
ことが出来た。
「ふむ」
自分の赤茶けた髪に、薄萌黄の翠が良く映えている。大きさも合っているし、肌触りも
良い。再度肩を動かして、気になるところが無くなると、その場にどっかりと座った。
「」
「はい」
妻の手を引きながら、彼女を正面に座らせる。はきょとんとした顔で自分を見てい
た。
「何か欲しいものはあるか」
「え?」
「これの礼だ」
着流しを指差しながら言うと、は首を横に振りながら「滅相も」と言った。
「欲しくないのか?」
「私は三成さまに頼まれて作っただけにございます。礼など…」
「これだけのもの、時間が掛かっただろう」
「そんなこと」
「感謝している」
「お心遣い痛み入りまする…しかし、勿体のうございます」
「…俺がやると言っている」
渋るに、最後の方はむきになりながら答えた。好意を辞することは謙虚だが、やる
といってるのだから、遠慮せずに貰えばいいのだ。他人ではないのだから、素直をに受け
取ればいいものを。
我が妻ながら困った女子だ、と苦笑してしまう。そんな謙虚さも、自分の好む所ではあ
るのだが。
「…わかりました」
ついに折れたが、困ったように微笑む。その唇からどのような願い事が発せられる
のか、気になって仕方が無い。普段は自分の望みなど決して口にしない妻である。出来る
限りのことはしてやりたい。
「なんでもいいぞ」
「はい」
しばらく黙っていただったが、意を決したのか夫と視線を絡ませて、ゆっくりと口
を開いた。
「おせなを」
「うん?」
「おせなを貸して下さりませ」
「……何だって?」
は微笑んではいるものの、いたって真面目である。三成は豆鉄砲を喰らった顔で目
を瞬かせた。おせなとか言ったか。
「おせな?」
「はい。三成さまのおせなを貸していただけまするか」
「俺の背中をか?」
「はい」
背中を借りて、何かいいことがあるのだろうか。やはり女子の考えることは分らん。
「本当にそんなのでいいのか」
「私には十分すぎます」
「…そうか」
そんなに嬉しそうに答えなくてもいいではないか。たかだか背中を貸すだけなのだから。
それに、俺の背中で何をするつもりだ。背中に楽しい事があるという話は聞いたことが無
い。
しかし、がそう言うのならば仕方が無いので、とりあえず彼女に背を向けた。
がいそいそと擦り寄ってくる。
「おせな、お借りします」
「……」
言うなり背中に感じたのは、柔らかくて温かいもの。どきどきという音も聞こえてくる。
どうやら、は自分の背部に抱きついているらしい。
「」
「はい」
「これは、どういうことだ」
「おせなをお借りしております」
「そうではない」
「?…抱きついておることですか」
「…そうだ」
がもぞもぞ動くと、同時に柔らかさも動く。いくら体で知らぬところは無い妻のも
のだといっても、そう予期せぬ動きをされると、妙に意識してしまう。雑念を払いつつ、
三成は「なぜこうなる」と問。
「三成さまに抱きつきたかったのです」
「そのままではないか」
「そのままです」
「…」
俺が聞きたいのはそうではなくて、なぜそれがお前の望みなのかという事だ!
「いけませんか?」
「そうではないが…こんな事ならいつもしているだろう」
「いいえ」
「なに?」
の声が不満げに響く。
三成は意外な所で反論されたことを心外に思いながら「なにが違うのだ」と言った。
「いつもは三成さまが私をこうしているのであって、私が三成さまをこうする事はまずあ
りません」
おや、と三成は思う。そういえば、抱きしめるとか口付けるとか、そういう行為で主体
になっているのは、思い返せば自分である。しかし、それは男として自然なことだと認識
しているし、それを疑ったことなど一度も無い。自分の妻は自分のものであって、愛おし
むのは自分だと考えているのだから。
「私は三成さまをお慕いしております」
「…うむ」
「しかし、私がそれを貴方さまに伝えることは滅多にできませぬ」
「そうか?」
「…同じ床に入っても、いつも何かされるのは三成さまであって、私ではありません」
「、悪いが俺は女に組み敷かれる趣味はないぞ」
「そういうことではありませぬ!」
ぴしゃりと言い放たれて、ぐうの音もでない。
「やられっぱなしは口惜しいので、私もやってみとうございました」
相変わらず腰にくっ付いたまま会心の笑みを浮かべるに、首だけ向けながら三成は
言う。
「で…これがそうだと?」
はこくこくと力強く首を縦に振った。
「こんなものでいいのか」
「?」
「俺がお前にしてるのは、こんなもんじゃないと思うが」
言葉の意味を逡巡していただが、はたと気が付いて顔を赤くした。それを見てにや
りと笑う。自分がしていることに比べたら、彼女の行為のなんと可愛らしいことか。自分
と同じことが妻にできたのならば、もっと面白いことになっていただろう。
ぱっと背中から柔らかさと温かさが消える。しかし、そこから逃げようと体を離した
の腕を取り、自身の体を反転させて、彼女を腕の中に収める。耳まで真っ赤になったが
ぴくぴくと震えていた。
「それができたら、俺はうれしいがなあ」
魚のようにぱくぱくと口を開閉し、は俯いた。腕の中でますがままになっている妻
を見るのは、非常にいい気分である。にやにやと口角を吊り上げながら、三成はに言
った。
「背中なんてけち臭いことを言うな。それどころか全身貸してやるぞ」
「!」
その時のの顔といったら無かったと、三成は嫌な気持ちも忘れて声を上げて笑った。
***後記***
七見さまからのリクエストで、「兼続か三成で奥方との甘めなお話」でした!
三成を書いたことが殆どなかったので、今回は三成にさせていただきました。
七見さま、如何でしたでしょうか?ヒロイン名はご自由に変更くださいませ。
煮るなり焼くなりスキしてくださいませv
ツンデレは無理でした!
夫婦間でツンデレとか、私には無理!見るのは大丈夫でも書けない…
ちょっと不器用な人、ぐらいにしようと思ったのに…どうも男が優位に立って、女をリー
ドするという構図が好きなようです。亭主関白な家庭に生まれてしまったからでしょうか。(しらん)
でも書いてみると案外三成楽しいな〜ということが分りました。
拍手のお礼とか短めのやつで書いてみようかしらという気になりました。
七見さまリクエストありがとうございました!