「釣りってやらはったことあります?」
 いつもより少し早い朝食を摂っていた慶次たちは一 斉に顔を上げると、口をせわしなく動かしながら答え た。
「「「やったことないのか?」」」
 三人一緒に言われた阿国は、すこし恥ずかしそうに はみかみながら、こくりと頷いた。
 吸い物をかきこんだ政宗は、椀を阿国に渡しながら 「お前、釣りもしたことが無いのか」と念を押すよう に訊いた。椀に吸い物を入れてやりながら、「恥ずか しいことやけど」と応えた。政宗はなんだか阿国に勝 ったような気がして、「やりたいのか?」と言った。
 それに反応したのは孫一だった。
「やりたいの?教えようか?」
 体をずいと前に出すと、ちゃっかり阿国の手を握る。
「おい、貴様・・・・っ」
 阿国を見返すことのできる折角の機会を逃すまいと 口を挟んだ政宗だったが、彼の吸い物椀を孫一に乱暴 に返されて溢すまいと受け取ってしまい、言葉が尻す ぼんだ。
「孫一はん、ええの?」
「もちろんだとも。分からなかったら、手とり足とり 教えてあげるから」
 やっと俺に回ってきた!といわんばかりに口説き文 句を放つ孫一。二人きりで釣りに行く気満々のようで 、顔が完全ににやけている。
「そしたら・・・・」
 孫一から視線を左右に逸らし、不貞腐れている政宗 と、話しを聞いているのかいないのか、飯を黙々と食 べている慶次に目を遣り、楽しそうに孫一の野望を打 ち砕く一言を放った。
「朝餉おわったら、四人で行きましょ」
 孫一はその場でしばし固まり、政宗はにやりと嘲る ような笑みを浮かべ、慶次は「いいねえ」と言った。



 泣きながらふらふらついてくる孫一に、政宗が五度 めの蹴りをいれた頃、四人は小さな滝のある川に辿り 着いた。そこにはそれまで地を覆っていた緑の絨毯は 姿を消し、代わりにごつごつとした岩が多々あった。
 決まった人間が座っていたせいなのか、はたまた、 ここに来た者が全員四人と同じ思考をしていたせいな のか・・・・・。それは定かでないが、岩のいくつか にはごつごつした部分が擦れて、座れるぐらいになっ ているものもあった。
 愛用の継ぎ竿の先をふるふる振るわせながら、慶次 が大きめの岩に座り込むと、そのすぐ隣に阿国がちょ こんと座った。
「二人はどうしたんだい?」
「もうちょっとしたら来ますわ」
 阿国が持っているのは慶次お手製の延べ竿だ。彼女 の身の丈に合わせて作ってある為、彼のよりは少し短 い。釣り糸の先端の針を摘むと、彼女は慶次の方を向 いて「どないしたらええんやろ・・・」と困った笑い を浮かべてみせた。本当にやった事がないのか、と逆 に感心してしまった慶次は、ミミズが入っている袋を 手にすると、「ミミズは大丈夫かい?」と訊いた。一 瞬目を見開いたが、「あんま大きなかったら・・・」 と応えた。慶次は袋を彼女に見せると、一匹取り出し て見せた。阿国は思っていたよりも少し小さかったそ れにほっとしながらも、それを釣り針に付けられるだ ろうかという新たな不安に苛(さいな)まれた。
「ちょっと長すぎか・・・・」
 ミミズと睨み合いをしていた慶次はぽつりと言うと、 横に置いてあった小柄をを取って、ミミズの下三分の 一程を切り取った。そして阿国にそれを見せると、刺 し方を教授し始めた。





 政宗はふらふらしている孫一の尻を叩きながら、ま だまだある道のりにいらいらしていた。
「貴様・・・いい加減にせんと斬るぞ!」
阿国に「お願い」と言われて、断りきれなかった自分 を情けなく思いながらも、今更放棄しても仕様が無い と言い聞かせて彼を引っ張ってきた政宗だったが、相 も変わらず呆けた表情をしている孫一に耐え切れず、 六度目の蹴りを頭にお見舞いしてやった。
「ぐおっ!!」
 命中。
 そのせいで気を取り戻したのか、目をぱちくりさせ て政宗を見つめると一言、「阿国ちゃんと慶次は?」 と訊いた。よくも抜け抜けと、と呟いた政宗は、「も うとっくの昔に行っておるわ」と吐き捨てた。
「そもそも貴様が惚けていたから先に行けんのではな いか」
 頼まれた儂の身にもなってくれ、と思う気持ちを押 し込むと、孫一を置いてすたすた歩き出す。
「おっ、おい!ちょっと待ってくれよ!」
「おれ、道わかんねぇんだよ〜」と情けない声を出さ れて初めて、政宗は自分が道に迷ったことを知った。




「あっ!慶次さま、引いてますわ!」
「おおっ!結構でかいな。お嬢ちゃん大丈夫かい?」
 政宗たちが迷っている事など露知らず、二人は釣り を楽しんでいた。
 何度も針に通している内に慣れたのか、阿国は素手 でミミズを触っていた。引き加減も中々良く、阿国は 釣り人になっていた。
 くん、と引っ張る魚を出来るだけ遊ばせながら引く。 阿国は慶次に教わった事を頭の中で一つづつ繰り返し ながら、慎重に引いた。しかし、相手はなかなか強く、 一筋縄ではいかない。
 粘る魚に手を焼いた阿国は、慶次に手伝いを求めよ うと横を向いた。
「慶次さ・・・」
その一瞬、竿に掛けていた力が弱まった。魚は隙を逃 さなかった。凄い力で引っ張られた阿国は、体を持っ て行かれそうになる。
「あっ・・・・!」
 呼ばれた瞬間に振り返っていた慶次は、驚きの言葉 も出さず彼女を抱え込んだ。慶次に半ば抱きしめられ る形で阿国は助かったが、彼女の竿は、そのまま川に 飲み込まれていった。
「あ・・・」
「大丈夫か?やっぱり、お嬢ちゃんにはちょっとキツ かったかな」
慶次の胸に頭を当てていた阿国は、凄い勢いで振り返 る。
 竿を、落としてしまった。
 いつまでも川を見つめている彼女に、魚がそれほど 欲しかったのかと勘違いした慶次は、「ここにはまだ まだいそうだぜ」と慰めた。
 川の向こうのほうを見つめていた阿国は、「違うん どす」、と乾いた声を出した。
「うち、慶次さまにもろた竿・・・落としてしもた」 悪戯が見つかった子供のように、阿国はしゅんとして しまっていた。見当違いも甚だしかった慶次は、笑っ た。
「なにが可笑しいんです?」
頬を少し膨らませて、不機嫌そうに言った。
「竿だったら、また作ればいいじゃねえか」
せっかく慶次さまがうちの為に作ってくれたのに、と 慶次の袖を掴んで、俯いてしまう阿国。あらら、と苦 笑を漏らした慶次は、「俺のでいいんなら、いくらで も作ってやるよ」と言った。
「ほんま・・・?」
 袖は掴んだまま、上目遣いに言う阿国。そんな彼女 の頭をわしゃわしゃと撫でながら、「おう」と応えた。
「おおきに」
 そう言うと、二人は互いに笑いあった。体勢は、抱 きあったままだが。

 がさ。
「「?」」
 二人の目線の先には、なにやらやたらと疲労の色を 見せている政宗と孫一がいた。二人が驚く前に、彼ら は同じ言葉を放った。
「「何をやっている!!」」
 何の事なのか全く分からない二人は、顔を見合わせ ると首を傾げあった。
「何ゆうてはりますの?」
「別になんにもしてねえぜ」
「釣りで、何ゆえ抱きおうておるかッ!」
「慶次〜〜〜おれもまだやったことないのに!」
 言われて顔を見合わせて初めて、自分たちが端から 見ると熱い抱擁をしていることに気づいた。
「あれ、慶次さまったら」
「お、すまんすまん。すっかり忘れた」
 からからと笑う慶次と、照れているが嬉しそうな阿 国を見た政宗と孫一は、もはや言う言葉も無いといっ た顔で、その場にどすんと座り込んだ。
「儂は腹が減った!魚は取れておるのだろうな!」
「そんなことする暇があるんならよぉ〜せめて人数分 は取れてるんだろ?」
 嫌味を言う二人に、阿国と慶次はまた顔を見つめあ うと、魚を入れている小さな石垣を覗き込んだ。入っ ているのは大きいのが一匹と、天ぷらにすればちょう ど良いぐらいの小さなものが二匹。
「四人はちょっと無理かなあ・・・」
「おい、おまえらも一緒にやってくれや」
 釣らねえと結局食えねえからな、と軽々しく言う慶 次。二人は反撃するのも煩わしかったのか、阿国に差 し出された竿を持つと、渋々岩に座り込んだ。
「阿国ちゃんはやらないの?」
「うち?うちは・・・また今度」
そう言うと、嬉しそうに慶次に寄り添って座った。