森をがさがさと揺らす風で、慶次はうたた寝から目
を覚ました。自分は確か焚き火の番をしていたのでは
なかったのか。それを思い出すと、うつろだった意識
が一気に覚めていく。がばり、と思い切り起き上がっ
たものだから、布が膝の方まで落ちた。
(布・・・?)
布を掛けた覚えなど無いのだが、そんな些細な疑問は
すぐ忘れた。そんなことより、焚き火はちゃんと消え
ているか。
(ふう。消えてたか)
しかし、慶次は思った。自分の意識があった時には
まだ火が点いていなかったか?それでは一体誰が?
彼が頭に疑問符を浮かべている間に、雲に隠れてい
た月が姿を現し彼らの寝床を薄く照らし出した。その
際に見えた、膨らみの無い布。すぐに左右を見ると、
膨らんでいる布は二つ。明らかに一つ足りない。
この面子には、一人になったからといって特に心配
するような者は居ないのだが、時間が時間であるし、
やはり女性の一人歩きというのはこのご時世危険なも
のだ。
(とくに、俺たちはなあ・・・・)
探しがてら月見でもしようかね、と思いながら、思
い当たる節を頭に浮かべるとそろりと立ち上がって歩
き出した。
月光が、阿国の肌を青白く照らしていた。
まるで物にでも取り憑かれたように朧げな容相を晒
している。
蒼くぼんやりと光るそれは、阿国の心をますます鬱
怏(うつおう)にさせた。
別に、今に不満がある訳ではない。なんにも不自由
していないし、自分の中では今が一番楽しいと思って
いる。なのに、一人になるとなぜか塞いでしまう。気
が滅入ってしまうのだ。
(もしかしてうち・・・・寂しいんやろか・・・・)
一人でいる事に苦痛を感じているのか?そうならば
こんな所でこんな事はしない。確かに、四人で旅をす
るようになってから、一人になる事に恐怖や寂しさを
感じることも少なくなかった。しかしその反面皆と居
ることに苦痛というのか、くたびれることもあった。
(わがままやなあ・・・・・)
ふふっ、と自嘲気味に笑うと、月光が降り注ぐ銀の草
原に寝転んだ。
風はとめどなく吹き、阿国の紙飾りをしゃらしゃら
と鳴らす。言い様の無い気持ちよさに思わず、声にな
らない声を出し、思い切り伸びをした。
慶次がやって来たのは、最近ここに新しくできた
お気に入りの場所だった。彼らが今いる森の中ほどに
当たるところだが、わりと大きく拓けていて、地面の
草がふかふかで気持ちいいのだ。もっとも、彼が見つ
けたのではなく、松風が見つけたのだが。
今晩の月は、特別綺麗という訳ではなかったが、何
所となく吸い込まれるような感じのするものだった。
(ああ、なんか、持ってかれそうだねぇ)
ざわざわと銀の原が揺れる。つるつるしている草の表
面に月光が反射して、揺れるたびにまるで星空にいる
かのような気持ちにさせられる。
適当な処に腰を下ろすと、顎をぐいと後ろにやって
全方位で空を見た。遮るものがなにも無い。彼の目に
入ってくるのは、金の刺繍が施された藍染めだけ。少
し顎を戻してくると、妖しい光を放っている月が見え
る。少しの間見つめていると、なんだか気が遠くなる
のを感じられたので、さっと下を向いた。下には、此
処で唯一普通と感じられる緑の草があるからだ。黒
っぽい緑を目に焼き付けると、また真上を見る。途端
に、勢い余ってのけぞってしまった。
「お、お、お・・」
抵抗する間もなく、地に頭をぶつける。
「いたたたた・・・」
思わぬ自分の失態に苦笑していると、あるものに気づ
く。風に揺られてきらきらと光る、金属。
「あらら・・・?」
仰向けになったままそれに手を伸ばす。掻き分けら
れらた草から銀の髪飾りと黒髪が見えた。すると、草
から青白い手が伸びて、彼の手首を思い切り掴み、逆
の手で持った傘を彼の頭めがけて振り下ろした。
咄嗟のことであったが、さすが慶次。傘を片手で掃
うと、「お嬢ちゃん、おれだよ」と言った。
その言葉を聞いた阿国は、掴んでいた慶次の手を離
すと、ぱっと起き上がった。
「慶次さま・・・・」
なんで、と言うと「おれが聞きたいよ」と苦笑まじり
に返された。
仰向けになったままの慶次のわきのあたりに座ると
阿国は何も言わずに月を見つめた。
「理由とかは別にいいんだけどよ・・・やっぱり女の
子の一人歩きってのは危ねえだろ?」
「お嬢ちゃんなら大丈夫だと思うけどよ」と言うと、
慶次はからから笑った。しかし、阿国がぴくりとも反
応しないのに疑問を感じたのか、彼女の顔を覗きこん
だ。
「おーい・・・・」
反応は、無い。
虚ろな瞳は青白い月を映し、降り注ぐ月光は彼女の
美しい輪郭を神秘的に照らし出している。今ここで彼
女が舞ったならば、それはそれは良い舞いになること
だろう。そんな事を考えていた慶次は、ふとある事を
思い出す。以前、彼女から新しい舞を見て欲しいと頼
まれていたことだ。ここなら、お膳立ては完璧だ。
「お嬢ちゃん。この前の約束、ここでやってもらえね
えかな?」
何の事だと言わんばかりに、寝転んでいる慶次を見
る。
「舞だよ、舞」
あっと声を漏らし、「覚えててくれはりましたん」と
嬉しそうに微笑んだ。
「やってもらえるかい?」
その問いに無言で頷くと、傘を持って少し離れた所に
立った。傘を一振り、ばっと開くと慶次の方をちらり
と見遣り、舞い始めた。
月光の下で時にくるくると、時に流れるように舞う
阿国とそれを見つめる慶次。時間が止まったような感
覚さえ感じられるふたりの元に、邪魔者が刻々と迫っ
て来ていた。むこうの方から、空がぼんやりと朱く染
まり始めていたのだ。舞に夢中の阿国がそれに気づく
はずもなく、慶次がそれにはっとした。そろそろ戻ら
ないと二人が起きてしまう。特に問題が無いといえば
無いのだが、色々と問い詰められるのは面倒である。
舞ってくれている彼女に申し訳ないと思いながらも声
を掛けた。
「お嬢ちゃん、そろそろ・・・」
慶次の声にすぐ舞を止めた阿国は、傘をたたむと横
にやって来て「日の出、見ましょ」と一言いった。で
きれば早いうちに帰りたかった慶次であったが、彼の
裾を掴んだまま座り込んでいる阿国を見て、諦めた。
ゆっくりと、日が昇ってくる。その朱い光に見とれ
ている慶次の肩に、こつんと当たる重いもの。
阿国の頭だ。
一晩中起きていたのだから、仕方が無いことだった。
肩に頭をもたげて、くぅくぅと寝入る姿は、見てい
てなんともいえない愛しさがこみ上げてくる。彼女の
体を静かに引き寄せると、仰向けになった自分の体の
上にのせる。
もう少し、このままでもいいだろう。お迎えは向こ
うから来てくれるだろうから。
阿国の肩をそっと抱くと、慶次は目を閉じた。