山あいにある小さな町では、直ぐ隣にある林を利用して小さな祭りが催されていた。
避暑のためにそこへ訪れていた一行は、煌びやかに飾られて幻想的な雰囲気を醸し出
しているそれを宿から見ていた。
暗がりに、不均衡に浮かび上がる釣り灯籠がゆらゆらと揺れ、焦げ臭い匂いや子供達
のはしゃぎ声、威勢のよい売り子の声が聞こえた。
「・・・・祭りというやつか」
宿から祭りを眺める政宗が独りごちる。
諸国を歩き回っている慶次や、浮世のことで知らないことが無さそうな孫市に比べて
伊達家の若き頭首である政宗がこのような事に精通しているわけも無く。
おそらく興味はあるのだろうが、この暑さではどうも行く気になれないようだった。
何となく不憫に思って、孫市と慶次は声を掛けた。
「行くか?」
応えは無かった。
今や何の気がかりも無いこの二人の前で、政宗は眼帯を薄い布に代え、薄着一枚とい
う彼らしくない格好で窓にもたれかかっていた。
そんな彼を見て、二人は顔をちらりと見合わせると盛大なため息をついた。
知った気配を察すると、慶次はなんとなく救われたような気がした。
「三人さん〜ちょっとよろしおすか?」
「おー・・・」
間延びした声に、気の抜けた返事をする。何でもいいから速く入ってきて欲しい。
刹那、孫市が「あっ」と声を上げた。慶次と政宗はのっそりとその方を見遣る。そこ
には、いつもの巫女装束の阿国はおらず、目にも涼しげな──浴衣を着た彼女がいた。
「阿国ちゃん、可愛い〜」
下心ありありな孫市の言葉にも、笑って応える。彼女はたいして気にしていない。と
いうよりも、全く気付いていない。
熱気に完全に負けている三人を見回すと、阿国は少し言い難そうな顔をした。が、駄
目で元々。声を掛ける。
「お祭りいかへん?」
政宗は首だけを彼女の方に向けると、むすっとした表情で一瞥して、また窓にもたれ
た。
暑い、のだ。
湿気をたっぷり含んだ空気は風呂に入ったばかりの彼の体を汗ばませるものでしかな
かったし、ちょうど彼の目の高さにある釣り灯籠は、仄かな光とは裏腹に辺り一帯を熱
くするのに十分なものだった。何度これを斬ってやろう思ったことか。
しかし、そんな愚痴を阿国に言う気にもなれず、政宗は窓にもたれかかった体をずる
ずると壁沿いに沈めていくと、畳の上に寝転ぶ形となった。
阿国はそれを見ると、先ほどの二人よろしく溜息をついた。
「そしたらうち、一人でいってきますわ」
「それなら俺も行くよ」
一人にさせることを危険に思ったのか、はたまた厄介事に巻き込まれては不味いと思
ったのか。孫市は阿国に支度をするからと言って彼女に廊下で待つように告げると、慶
次に目で合図をした。
「坊主はいかねえのか」
政宗は瞳を廊下の方に向けただけで、相変わらずへたりこんでいる。慶次は、政宗の
ことと、そして振り回されるであろう孫市のことを考えると部屋を出ようと思った。
三人が出て行ってしばらくすると、部屋の風通しが大分良くなった。釣り灯籠は相変
わらず熱を発していたが、風が通るようになって政宗は思考能力がかなり回復して来て
いた。
政宗は一人の少女を思いだしていた。
彼の正室・愛姫である。よく、醜く腫れ上がった片目を見せては脅かしていた。愛姫
は決して恐れなかったが、そんな事を繰り返すうちに愛が泣き出してしまった時があっ
た。気持ちのいい物を見せているわけではないので、いつかはこうなるかもしれないと
は思ってはいたが、何を言ってめそめそと泣き続ける愛姫に政宗はどうしたらいいのか
全く分からず、一言すまんと謝った。愛姫は直ぐには泣き止まなかったが、涙で汚れた
顔を政宗に向けて微笑んだ。
そんなことを思いだしていると、思わず吹き出してしまった。愛姫がなぜ自分にあの
ような行動を起こしたのかは今でもよく分かっていないが、少なくともこの思いを阿国
に感じたことは無い。阿国に感じるのは、憧れと焦り。恋慕の情では無い。
大人の女への興味と憧憬。一人前と認められたい。同じ立場で話がしたい。そこから
生じる焦燥の渦は、彼を安定した柵の中から不安定で危なげな螺旋へと急がせた。
この姿を彼女がみたらどう思うだろう。軽く笑い飛ばされてしまうだろうか。それと
も背中を押してくれるだろうか。
否。
彼女は自分の手を取って、一緒に階段を上がってくれるだろう。何の確証も無いが、
瞳を閉じ、まぶたに白く濁って映る彼女は、そのきれいな手を自分に差し伸べてくれて
いた。
手を取りそうになって、目を開く。まだ、取ってはいけない、心の奥でなにかがそう
叫んでいる。
風で消えてしまったのだろうか、部屋の明かりは消えていて窓の外から入る仄かな明
りが、政宗の顔に幾筋もの線を浮かび上がらせていた。
夢見心地で起き上がった瞬間、空間が黄色く霞んだ。灯籠の明りが消えたのだった。
窓から黄色い月が覗いている。丸いその形を見ていると、血色のよい、健康的な愛姫の
卵形の顔が思い出された。先ほどの戒めも忘れて、月へと手を伸ばす。しかし、その手
が月へ届くことは無く、静かに下ろされる。政宗はただ、その月がまるで愛姫であるか
のように、慈しむような目で見つめていた。
「ただいまあ〜」
変な所に力が入ってしまって、障子が悲鳴を上げたが構わず開ける。手にはいくつも
飴、頭には狐の面が掛かっている。
「あれ?あ・・・」
彼女に続いてずかずかと入ってこようとした男二人組は、阿国が中に入らないのを見
て、中を覗いた。
「あれまぁ」
「お疲れみたいだな」
三人して笑い合うと、阿国がそおっと入って政宗に布団を掛けてやる。そして、彼か
ら離れる瞬間、彼の口から風のように紡ぎ出された言葉。
「愛・・・すまん」
阿国は驚いて振り返ったが、政宗があまりにも無防備な寝顔を晒しているので思わず
吹き出しそうになり、手にしていた飴を二つ、彼のそばに置いておいた。
畳の上に転がった飴は、月明かりを受けてきらきらと輝いていた。