「阿国、わしと勝負しろ」
「へ?」
おたまを落としそうになった。この子は何を言っているのだろうか。思考をめぐらせ
て頭に血を送る。勝負とかなんとか言っていなかっただろうか。
「しょ、勝負?うちと?」
竹光を手にした少年は、ふんぞり返って彼女を睨む様にする。するのか、しないのか
ではなく、するから早く来いと言った感じだ。
阿国は今日の昼飯を作っている真っ最中であり、いくら政宗の願いといってもこれば
かりは譲る気になれなかった。昼飯の魚は慶次と孫市が獲ってきてくれたもので、彼ら
のためにも速く作ってやりたいのだ。
「政宗はん、もうすぐお昼やし・・・それからにしてぇな」
阿国は出来るだけ、神経を逆なでしないように柔らかい声で言う。これで聞かなかっ
たらどうしてやろうかと考えながら。
彼はしばらく考えたあと、直ぐに食えと言い、自分は森の中に入って行ってしまう。
「ま、政宗はん!お昼どないしはりますの!」
「そこの池の所だ」
阿国が引き止める間もなく、政宗は森に溶けていった。
「あん、もう。折角つくったのに」
膨れると、慶次と孫市を呼んだ。
「政宗はんお腹大丈夫かなあ・・・」
「自分で行ったんだから大丈夫じゃないの?」
三人は鍋を囲むようにして座っている。阿国は眉を下げ、おたまを無意味にぐるぐる
掻き混ぜながら唸っている。
「で、行くのか?」
「?」
椀を地において、ごちそうさまの格好をすると慶次は訊いた。
「小僧のとこ」
はあ、とこめかみに指を当て、重い息を吐く。
「なんでうちなんやろ」
「確かになあ・・・慶次とか俺とかだったらわかるけど」
再び重い息を吐く阿国の肩をぽんと叩くと、「あいつにも思うところがあるんだろう
よ」と慶次が言った。
「まあ、受けるか受けないかはあんたの自由だけどな」
阿国は三度目の溜息をついた。
「政宗はーん・・・どこー?」
「ここだ」
「・・・・っ!」
日除けに、と思って差していた傘のせいで、木の枝に座っていた彼の姿が見えなかっ
た。こっちはのほほんとした気持ちで来ていたのだが、どうやら彼は本気らしい。
「物騒やわぁ。取りあえずそれ、提げてくれまへんやろか」
阿国に向けられているのは、使い込まれた竹光。片一方を彼女の胸の辺りに、もう片
一方は提げられている。
「勝負をしに来たのだろう。早う傘を取れ」
はあ、と溜息をつく。何か恨みを買うような事をしただろうか。それは無いと思う。
意外と彼と自分の距離は近いようで遠い。彼をからかうのは男二人の暇つぶしであるし
自分はそれを見ているだけだ。それがいけないのかもしれないが・・・。
「何でうちなん?」
「いくぞ」
とことん無視する気だ。阿国はそう感じた瞬間、心を決めた。それなら嫌でも吐かせ
てやろう、と。
「うちが勝ったら教えてもらうわ」
政宗の竹光が、容赦なく彼女の頭上から降った。
阿国は受け止めると、横へ流すと共に、傘を開いた。政宗はひらりと見をかわした。
二本の竹光が的確に打ち込まれる中、阿国は傘を彼の方に開いたまま突いた。一瞬ゆら
いだ政宗の背中に、衝撃が走る。
蹴られた。
政宗の背中を踏み台にして跳んだ阿国は、しっかり傘を手に収めて木の枝にぶら下が
っていた。彼が反撃してこないのを確認すると、着地する。阿国の顔に彼を心配する表
情は見えない。彼が本気だったから自分も本気でいっただけだった。
政宗は、意気込んでいた自分が阿呆のように感じられてならなかった。彼女は本気だ
った。自分が本気だったのを感じ取ってくれたのだろう。しかし、いくら歳が離れてい
るといっても、剣にはそれなりに自信があった。
女に負けた。
悔しかった。相手は獲物で、自分を一撃たりとも当ててはこなかった。足蹴にされた
のだ。
あまりにもから回っている自分の気持ちにうんざりした。
強くなりたい、認められたい。それだけなのに、どうしてこんなに苦しいのだろうか。
自分ひとりが子供で、思うほどに虚しくなり、自然と熱いものがこみ上げ、彼の手の甲
に露を作った。
「政宗はん」
いつもの声だ。
「どないしたん?いきなり勝負申し込んだりして・・・ちょっと変や」
「・・・・貴様にはわからん」
むっとする。
「わかるわけないわ。全然言わへんねんから」
その言葉にばっと顔を上げる。初めてされるそっけない態度。悲しかった。そして、
悲しいと思う自分の子供っぽさに腹が立った。
「言えるわけッ・・!!・・・・」
再びこみ上げてきた熱いもののせいで、繋がらなかった。俯くと、草を握り締める。
「何があったんかは知らんけど・・政宗はんはちょっと早う行き過ぎやわ。何にでも」
恐る恐る顔を上げると、さっきのそっけない阿国はどこかへ消えて、困ったような笑
顔を浮かべる彼女がいた。
「政宗はんのこと凄いと思うし、まだ若いのにうちに分からへんような苦労してると思
う。せやけど、四人でおる時は何も気ぃ使わんでええんやで?」
「だれも政宗はんのこと子供やなんて思てないで」
眩暈がした。
そう言う彼女が、やけに眩しくて。
「認められておるのか・・・」
阿国はきょとんとした顔をすると、彼のなかで渦巻いていたものが何であったのかを
悟った。
「政宗はんは、うちらの大事な仲間や」
手を、のべた。
差し出された手を、振るえる手つきで掴む。ぐい、と引かれる感触に、絡まっていた
糸が綺麗にほどけていくような心地よさを感じた。