真紅の傘を手に提げて、細身の華やかな女が町を歩
く。その美しさに誰もが一瞬振り返り、女の美しさに
ため息を漏らす。そして同時に柔らかい笑みを浮かべ
る。笑みの原因は、女の後ろから眼光鋭く歩いてくる
一人の少年。微笑んだ後、誰もがその顔を半分ほど隠
してしまっている眼帯に目を遣っては「可哀相だ」、と
ひそひそ言っていたが、少年はそんな事には目もくれ
ずにただひたすら女の背中を追いかけていた。
阿国と政宗は町に買出しに来ていたのだ。
いつもなら町で買い物をするなどあり得ないことな
のだが、阿国が朝起きてみると慶次と孫市がいなかっ
たものだから、暇を持て余している二人で町へでよう
という事になったのだ。
久しぶりの買い物にうきうきしている阿国とは裏腹
に、政宗は何ともいえない心境だった。特に何を買う
という訳でもなく、ぶらぶら歩くのは彼の嫌いな事の
一つであったし、行く店行く店で「弟さんですか?」と
いう問いに「そない見えます?」などと嬉しそうに応え
ていることなどは、政宗を一層不機嫌にさせるもので
あった。
(わしは何ゆえここにおるのだ・・・)
一種の絶望に似た感情を無理やり奥に押し込めなが
ら、早く終って欲しいとただただ願う。そんな彼の思
いを知ってか知らずか、妙に明るい声が頭上から降っ
た。
「政宗はん、飴食べはります?」
「・・・何?」
阿国が嬉しそうに指差す先には、小さな屋台にちょ
こんと座り込んだ親爺が指先だけを細やかに動かして
様々な色の飴を鋏でちょきんと切りながら、鳥や龍な
どを作っていた。政宗は飴というから、あの形のいび
つなべっこう飴ばかり思い浮かべていたのだが、今彼
の前に在るのは彫刻を思わせる半透明の”飴らしい”
ものであった。
政宗が目を奪われているのに気を良くした阿国は、
親爺に飴を二つ頼もうとして一歩前に踏み出した。阿
国の足が進んだので政宗ははっとすると、彼女の袴を
掴んだ。
「あれを買おうとしているんじゃあないだろうな」
「そうどすけど・・?」
「あんな物、買ってどうする」
「あんなもんって・・・政宗はんさっき欲しそうに見て
はりましたやん」
「なっ・・・見た事がないから気になっただけだ!」
照れんでもええのに、と茶化しながらも「おっちゃん四
つちょうだい」と注文する阿国。
「形は何がいいのかね」
「せやなぁ。兎と亀と鶴と・・・政宗はん、何がよろし
おすか?」
「わしに振るな!」
怒り心頭といった感じで返したが、目はしっかり飴
を追っている。
「せやけど政宗はんのやで?」
困った、と頬に手を当てている阿国に、親爺が声を
掛ける。
「そっちの坊ちゃんの分なんだね?」
坊ちゃんと言われて反撃しかかった政宗を無理やり抑
えると、「そうどす」と応える。
「決まらんのなら此れで如何かな?」
そう言って親爺が取り出したのは、屋台に並んでい
るのとは全く違う雰囲気をかもし出している鳥のよう
なものだった。
「これ、おっちゃんが作らはったん?」
「ああ、そうだよ」
「すごいわあ・・・政宗はん、政宗はん。見てぇな」
驚嘆の声を漏らす阿国に今度は腕を引っ張られると、
政宗はちらりと親爺の手を見る。そこにはさっきより
も大きな驚きが政宗を待っていた。
他のものより大きく開かれた翼と、鋭い嘴。なによ
り強靭な肉体と思わせる飴の光沢が政宗を驚かせた。
今まで素晴らしいとされる彫刻や宝石などは見てきた
つもりだったが、そんな物が霞んでしまうほどに目の
前の飴が美しいと思った。
「これ、ほんまにええの?」
「坊ちゃんが貰ってくれるんならお代はいいよ」
「政宗はん!聞かはりました?」
「あ、ああ・・・」
政宗はまだ飴の美しさの虜になっている。
「買いましょか?」
「・・・頼む」
「おっちゃん、これお願いするわ」
親爺はあいよと返事をすると、四つの飴を次々と袋
に入れていく。
「けど、ほんまにお金いらんの・・・?」
「坊ちゃんはいい眼をしてるからね」
「せやけど、なんか悪いわあ・・・・」
「そんなに何かしたいんなら舞えばよいではないか」
お前の本業はそれだろう、と阿国を小突いた。
「せやね・・・おっちゃん、うちの舞見てくれはる?」
そう言うと、返事も聞かずに傘を広げて準備をする。
「お嬢さんは踊り子さんなのかい?」
親爺は政宗のほうを向いて問うた。
「ああ。あいつの舞は・・・・なかなかのもんだ」
阿国がくるりくるりと舞いだすと、歩いていた者も
立ち止まり、屋台の主人たちは身を乗り出した。そこ
に音楽が無くとも、阿国の舞は音楽を創り出す。幻想
的な舞に、だれもが眼を奪われた。
「いいもんだろう」
「そうですねえ」
親爺は眩しそうに眼を窄(すぼ)めながら、阿国の舞
に見入っていた。政宗もまた、久しぶりに見た彼女の
舞に釘付けになっていた。
ぱたん、と傘を閉じると囃(はや)し立てる観客に笑
みを浮かべながら、こっちへ足早にやって来た。
「どうどした?」
「こんな舞を見たのは初めてだよ。ありがとう」
「そんなん!お礼言うんはこっちやのに」
政宗は親爺と談笑する阿国の袴を掴むと、思い切り引
っ張った。
「あれ。何しはんの」
「きょ、今日の舞は・・・・・良かったぞ」
半ばはき捨てるように言うと、恥ずかしそうに俯い
てしまった。政宗の言葉に刹那、狐につつまれたよう
な体をしていた阿国は嬉しそうに政宗を抱き上げた。
「お、おい!何をするかッ」
「政宗はん、おおきに」
「離さぬかッ」
わたわたともがいて、ようやく阿国の呪縛から逃れ
た政宗は、目の前にいたはずの親爺の姿が見えないこ
とに気がついた。
「おい、親爺がおらぬぞ」
「え!ほんまや・・・・もう一個ぐらい買わしてもらお
と思てたのに」
「帰るぞ・・・」
「あ、そやね。慶次さまと孫市はん帰ってはるやろか」
阿国は政宗の手を取ると、元来た道をゆっくりと歩
き出した。
「政宗はん・・・」
「何だ」
「さっきの飴、見して?」
「?」
なんで、という言葉を飲み込んでしまうほど、日の
光を浴びた阿国の光惚とした表情は美しかった。
さっき包んでもらったばかりの飴を取り出すと、阿
国に差し出す。それをついっと掲げると、日に透かし
た。光を浴びた飴は、その胴体の中で四方八方に反射
して、濁った翡翠色をより美しく、高貴なものに見せ
ていた。
「これ、なんやろね」
「あ?」
「きれぇな鳥さんや」
きらきら光るその鳥とおぼしき飴を政宗は凝視して、
それが何であるか、何となく記憶の奥にしまい込んで
いるような妙な不快感を払拭しようとした。
ふと、その”鳥”の尾が異様に長いのに気付くと、
政宗はあっと声を出した。
「どないしはったん?」
「その鳥、思い出した」
「ほんまに!ほんで、これ何(なん)なん?」
「朱雀だ・・・」
「ああ、ほんで・・・・」
「こないに立派な羽してはったんや」と嘆息した。
「政宗はんにぴったりでよかったやん」
「え?」
「立派なお人になっておくれやす・・・」
そう言うと、政宗を見下ろして、にっこり笑った。
そんなに笑顔を向けられると、嬉しさと共に少しばか
りの棘が心の奥にちくりと刺さる。それを悟られまい
として、返事もせずにぷいっと明後日のほうを向いて
しまった。
「きれいやなあ」
何に言うというわけでも無く、阿国はぽつりと声を
漏らした。政宗はその優しげな横顔に、儚さを見出さ
ずにはいられなかった。
向こうの空が、じんわりと朱く染まっていく。
その光に当たって紅く燃え上がる朱雀が、しばらく政
宗の眼に焼き付いて離れなかった。