がしゃがしゃと金属音を響かせて、はホイルジャックの研究室に無言で入った。
「おや、かね」
「……」
 ホイルジャックの声には応えず、はむっつりとした不機嫌そうな顔のまま、彼の懐に飛びこんだ。突然のことに彼は小さくうめき声を上げたが、腰にしっかり抱きついて離れる様子のないに、頬を掻き掻き――はて、これはひと悶着あったな――と、白いボディが印象的な、自分の助手を思い浮かべた。
「どうかしたかね」
「……」
 ぎゅうと腹部を締め付ける小さいボディを見つめながら、ホイルジャックは、まあるい彼女の頭部をちょんちょんと突く。馬鹿にされたと思ったのか、はぶんぶんと頭を振って、それから彼を見上げて睨み付けた。大きな青いアイセンサーがなんとも可愛らしいこのサイバトロンは、その瞳をぱちぱち輝かせながら「ん!」と口をへの字に曲げて、何かを訴えかけてくる。
 何に対して怒っているのか、ホイルジャックは気にならないでもないが、おそらくラチェットであろうことは、過去の経験から明白であったので、あえてそれ以上は聞かなかった。言わなくても彼女から喋ってくれるだろう。じきに。
「。我輩にくっついていたいんならそれでもいいが、まっすぐ座らせてくれんかね」
 ホイルジャックはを持ち上げると、膝の上に座らせて、コンソールの方へと向き直った。彼の膝の上で横向きに座ったは、足をぶらぶらさせながら、ホイルジャックをちらりと見上げる。彼はコンソールを向いて、両手をパネル上で滑らせているため、彼女には見向きもしてくれない。
「んー」
 は、相手にされない苛立たしさと寂しさから、意味を成さない音声を発するが、まったく取り合ってもらえない。つまらない、つまらない、つまらない、さみしい、こっちむいて。
「ホイルジャック」
「なんだね」
 名を呼ばれたホイルジャックが、視線はそのままに声だけで応えると、はすこし機嫌を持ち直して「あのね」とぶらぶらさせていた足を止めて言った。
「、どこか悪いとこある?」
「…なんだって?」
 思わず指を止めて、ホイルジャックはを見た。もじもじと居心地が悪そうに視線を合わせてくる彼女を思わずスキャンしてみるが、破損箇所は見当たらない。いたって良好な状態である。
「ラチェットが、検査するって」
「定期メンテナンスの類じゃないのかね」
 は力なく首を横に振り「メンテナンスは10日前にしたばっかだもん」と鋼鉄の唇を尖らせた。いかにも子どもっぽい仕草に、ホイルジャックは微笑んだ。
「理由はなんだって?」
 自分の助手が、この女性型サイバトロンに必要以上の干渉――ストレートに言うならば、過保護である――をしているのは知っているし、その理由も理解している。その度に板ばさみにされているのは自分なのだから、この二体の間で行われている、他者からみれば行き過ぎた行為に対しても、ホイルジャックは驚かない。仲間たちには言えない様な葛藤や行為が、ラチェットとの間にはあるのだ。
「最近エネルギーの消費が激しいから、供給ついでに検査するって……」
「なにか問題があるのかね」
「だって…」
 はホイルジャックから視線を逸らし、両足をむずむずと動かして視線を落とす。エネルギー供給ついでに検査を行うことに、なにか問題があるのだろうか。
「だって?」
「ラチェットのエネルギー供給、最近ちょっとヘンなんだもん」
「ヘン?」
 なにがヘンなんだね?と問えば、は困ったような表情を浮かべて、口をもごもご動かした。なんと言えばいいのか分からない、そんな顔だった。
「ポッドに入るでしょ」
 エネルギー供給といえば、専用のポッドに横になるのが常である。
「それで、エネルギーを入れるけど……その量がヘン」
「量?それはあらかじめ設定してるんじゃないのかね」
「みんなの時はそうだけど、のは多いの」
「ふむ。それで多いと困ると?」
「は、多いとすぐ終わると思ってたのに、ラチェットはずーっと供給させるの」
「ずっと」
「ずーっと」
 エネルギー供給は、多ければ多いほど良いというものではない。それぞれの固体に適した上限を守り、適切なスピードで供給されるべきだ。それを過ぎれば過充電になってしまう。
「それは困ったな」
「ずっと入ってるとね、はヘンな気分になるの」
 はホイルジャックの顔色を伺うように、ゆっくりと話し始める。
「ヘンな気分?」
「はじめはエネルギーが入ってきて、ヘンじゃないけど、ずーっとそこにいると、体がびりびりして、ここがぞわぞわしてくるの」
 背中から腰の辺りをさすりながら、は続ける。
「それで、ぞわぞわしてるのが、ココだけじゃなくて全部に広がって、くすぐったくて、あったかっくて、ちょっとだけ…」
 そこで言葉を切って、はうつむく。ホイルジャックは過充電が彼女に悪い影響を与えていないかと思い、彼女をジッと見つめていたのだが、の様子にいよいよ心配になってきた。
「それでどうなったね」
 感覚を思い出しているのか、はぶるっと身震いして、こそこそと続けた。
「あったかくなって、びりびりしたのがどんどん迫ってくるとね、なんか……ちょっと気持ちいいの」
 が恥ずかしそうに俯いて、膝の上で手を組む。ホイルジャックはさっきまでの心配が全部ぶっ飛んだが、違う問題がずんずんと積まれていくのを感じた。
「な、なんだって?」
 はちらっとアイセンサーをこちらに向けたが、すぐに逸らして「ちょっとヘンな気分になるの」と彼の膝の上で体を縮こませた。
「き、き、気持ち…」
 気持ちいいだって?
 ただの心地よさならば、はこんなに恥ずかしがって言うのをためらったりしないだろう。彼女のそれは、明らかにそれではない。なんというのか、ロボット生命体である自分たちは遠い昔に忘れてきた――のかもしれない――違う意味での快感を、感じているとしか思えない。
 研究熱心なホイルジャックであるから、地球に来てからも人間の調査に余念がないが、その中でもかなりデリケートな話題に直面したとき、そしてそれをスパイクやカーリーといった人間に聞いたときの気まずさに、今の状態が良く似ていた。あえては言うまい、それがなんであるのかということは。
(これはいよいよ不味い)
 過保護で彼女を可愛がってやまないラチェットのベクトルが、少しずつ歪んできているのかもしれない。ホイルジャックはできれば考えたくなかった、しかしいつかは来るかもしれないと、どこかで考えていた結論に達しそうになる。首をぶんぶん振って否定したい。それはラチェットがうっかりしていたからで、ワザとではないということを。
 過充電が行われると、機体に損傷をきたす恐れがあるだけではなく、一種のサーキットの故障とも言うべきスパークが起こってしまい、感覚回路をショートさせるほどのシグナルが届けられてしまうのだ。
(ちがう、ちがうな、ラチェット)
「ねえ、ホイルジャック」
「あ、ああ?なんだね」
「、やっぱりどこかヘン?エネルギー供給ってあんな風に気持ちいいものだったかな?」
「いや、。君はおかしくないさ」
「ほんと?」
「エネルギー供給が長いと、そういう風に感じてしまうこともあるんだよ。だから、ラチェットには我輩から言っとこう。エネルギー供給はちゃっちゃと終わらせるように、ってね」
 アイセンサーを片方だけ細めて、ホイルジャックはの頭をなでた。は嬉しそうに頭を擦り付けてくると、自分のほうに向き直って、ぎゅっと抱きついてきた。
「よかった。、ヘンじゃない」
「ヘンじゃないさ」
 にこっと笑って、はホイルジャックを見上げるが、すぐに表情を曇らせる。「でも」
「でも、ラチェットはちょっとヘン」
 不安げな表情で自分を見つめてくるに、ホイルジャックは何と応えてよいか分からずに、そっとを抱きしめた。