愛のあいさつ

 街角にこじんまりとしたレコードショップがある。間口は広くないが、小さ な店にはありとあらゆるジャンルの音楽が眠っている。この店を見つけたのは、 街にパトロールに来ていたマイスターで、それを知ったブロードキャストがス パイクと共に訪れたのがそもそもの始まりだった。
 この店の主はというまだ年若い娘で、早くに亡くなった父親の跡を継い だらしい。道楽で店を営んでいた父親に仕込まれた音楽好きは相当のものらし く、若くともその知識は――地球上のあらゆる音楽についての情報収集を行っ ているマイスターから見ても――見上げるものがあった。
 そんな彼女の店も万民受けするわけではなく、古めかしい店構えや、客のほ とんどが父親の馴染みであることから、大盛況という訳ではなかった。もとよ り商売というよりは趣味の店であるから、客が少ないということに関して は何の危機感もないが、見ているこちらとしては彼女が本当にまともな生活を 営めているのか心配になるくらい、は自由だった。

「あら、スパイク…ブロードキャストも一緒なのね」
 いらっしゃい、とはカウンターから華奢な身体をのぞかせた。スパイク とラジカセにトランスフォームしているブロードキャストはそれに応える。
「こんにちは、。今日はマイスターのリクエストでね、クラシックを探し に来たんだ」
 スパイクは店の外を指で示す。「マイスターが乗せてきてくれたんだ」
「そうなの?じゃあ挨拶しなくっちゃ」
 カウンターからレコードの海を掻き分けるようにして、チェックのエプロン を身に付けたが姿を現す。いそいそと出てきた彼女にブロードキャストが 「マイスターは店に来るのはもちろんだが、きみに会うのを楽しみにしてるん だぜ」と笑いを含めた口調で言った。
「本当?うれしいわ」
 はかろやかなステップでドアに近づき、真鍮の使い古されたドアノブに 手を掛けた。目の前の道路に、白く輝くポルシェが静かに佇んでいる。
「マイスター、いらっしゃい。来てくれて嬉しいわ」
「いやいや。わたしもきみに会えて嬉しいよ」
 マイスターの言葉には少しばかり恥じらう表情を見せたが、すぐに「今 日はクラシックをお探し?」とやや上ずった声で返した。マイスターはに 気付かれないように――ビークルモードで表情が分かるはずもないが――くす りと笑みをこぼす。
「そうだよ」
 マイスターにとって、は初めての個人的な友人だった。スパイクやカー リーとは歳が違うせいか彼女はずいぶん落ち着いて見えるし、音楽という共通 項も手伝って、二人はすっかり仲良しになっていた。ブロードキャストに言わ せれば、マイスターの態度は友人に対するそれではなく、まるで―――
「マイスター?聞いてる?」
 の顔をジッと見つめていたのだが、どうやら会話に上の空になっていた らしい。マイスターは心地よいクラシックのボリュームを下げると「いや、す まないね。きみに見とれていたら話を聞き逃したらしい」
「まぁ、お上手ね」
「本当さ。いつもきれいだけど、今日はどちらかというと可愛いね」
 はきょとんとした顔でポルシェのカーオーディオを見つめる。心なしか その頬が赤く染まっているのは、自分のアイセンサーの誤作動ではないだろう。
「そうかしら?」
 はポルシェにもたせかけていた身体を起こすと、身なりを整えるように 自分の格好を確認した。
「いつもはスカートだけど、今日はズボンだろう?それに、髪を纏めているね」
「よく見てるのねえ。今日は朝からお掃除していたから、スカートは止めて髪 もポニーテールにしたの」
「その髪型はポニーテールって言うのかい」
 マイスターは高く結い上げられたの栗色の髪を見つめた。ポニーテール とデータベースに検索にかけると――髪を後頭部で一つにまとめて、毛先をポ ニーのしっぽのように垂らしたもの――と答えが出た。
「たしかに馬のしっぽに似ているね」
 そのままの意味で捉えたマイスターに、はくすくす笑う。
「このエプロンも可愛いでしょう」
 再び身体をポルシェにもたせかけようとしたに、マイスターは「ちょっ と待ってくれ」と声をかける。
「なあに?」
 くるくると丸い瞳がポルシェを捉える。マイスターはその輝く星の海を独り 占めできることに感謝しながら、溢れる喜びを隠すように、クラシックをかけなおす。
「下がって。いまドアを開けるから」
 が二三歩下がったことを確認してから、マイスターは運転席のドアを開 いた。中から柔らかく、甘い旋律がこぼれ落ちた。
「あら、これは」
「きみなら何かわかるかい?」
 いたずらっぽく微笑んで、マイスターはを誘う。「さあ乗って」
 は店を振り返って、ドアに手を掛けたまま少し困ったように微笑んだ。
「でも、スパイクとブロードキャストが」
「お客さんには、じっくり商品を選んでもらうほうがいいと思うんだが…どう かな?」
「ゆっくりって、どのくらい?」
 はポルシェに乗り込み、エプロンを外しにかかる。その表情が自分と同 じように喜びに満ちているのを感じながら、マイスターは「ちょっと待った」 との動作を遮った。
「どうしたの?」
「さっき言い忘れてたんだがね」
 ドアを閉めて、少しだけボリュームを上げる。 
「そのエプロン」
「ああ、これ可愛いでしょう?この前に衝動買いしてしまったの」
「きみのセンスは素晴らしいと思うよ。それを着たきみはすごく可愛いからね」
 まあ、何を着ていてもきみである限り素敵なんだがね、とマイスターが臆面 もなく言い放つと、は思わずカーオーディオのボリュームを捻って、視線 を窓の外に投げた。耳まで真っ赤になっている。
「愛のあいさつ」
「ん?」
 マイスターはすっかり照れてしまった可愛い人を体中に感じながら、少しず つボリュームを下げていく。
「これ、エドガーの”愛のあいさつ”でしょう」
「そうだよ」
 ゆるやかに走り出したポルシェは、さわやかな春の風を車内に招き入れる。
「きれいな曲」
 うっとりして眠ってしまいそう、とがこぼす。
「、知ってるかい」
「なあに?」
「エドガーはね、この曲を教え子のキャロラインという人に送ったそうだよ」
「そうなの」
「そして、この贈り物のあとに二人は一緒になった」
「いっしょ?」
 マイスターは開いていた窓をゆっくり閉めて、に前を向くよう促す。
「結婚したのさ」
「まあ」
 わたしからもこの曲をきみに贈るよ、とマイスターは呟くと、火照りの引き かけたの頬が再びばら色に染まったのを見て、ゆっくりとスピードを上げ ていった。

 その日、二人は夕暮れになるまで店には帰ってこなかった。





***後書き***

どうも私はナンバー2が好きになる傾向があるようです。
マイスター、活躍する回はすごく少ないですが、異様なまでの存在感といいま すか、なにかにつけて格好いいといいますか……とにかく片岡さんの声がたま らなく素敵です。ヘッドホンで聞いてるとなんかむずむずします。
セリフの言い回しも、キザなんですど、それがまたツボでたまらんです。
そんな副官には、とびきりキザでくさいセリフを言わせようとしたのですが、 まだまだ言わせたりません。書いてて恥ずかしいようなセリフも彼なら違和感 なく書ける気がするので、また書きたいです。副官。
ポルシェってのがまたカッコいい!!