10:ご褒美
「ウルトラマグナスーっ!」
バタバタとやかましく司令室へ入り込んできたのは、ダニエルとウィーリーだった。自分を呼ぶ大声とやけに真剣なその眼差しに、ウルトラマグナスはロディマスとの話を中断して思わず彼らの名を呼んだ。
「どうしたんだ、そんな大きな声を出して」
呼吸、というガス交換が必要なダニエルはひどく苦しそうな顔で途切れ途切れに言葉を紡ぐ。それにウィーリーが助け舟を出して「が、が」と恋人の名を呼んだ。唐突に現われたその名に、ウルトラマグナスは二人に近づきダニエルを手に乗せ、ウィーリーをじろりと見た。一体彼女に何があったというのだ!
「が、どうしたんだ」
「あ、あの、えっと」
「おいウルトラマグナス、びびらせても仕方が無いだろう」
ロディマスの声にウルトラマグナスはむっと唇を歪ませて、ウィーリーに近づけていた巨体を起こした。びくついていたウィーリーがホッとしたように話し始める。
「その、ダニエルと地球の動物について調べてたんだ」
「ほう」
「そしたら、実際に動物を体験できるっていうソフトが見つかってさ、ダウンロードしてみようってなったんだ」
「ダウンロード?」
「そう、動物の習性とか動きとか、そういうのが入ったソフトがあるんだ。それをダウンロードしたら、ソフトを消しちゃうまでその動物になれる」
ダニエルの説明に、ウルトラマグナスとロディマスは顔を見合わせて疑問符を飛ばす。この広い宇宙には、そんな疑似体験ができるモノもあるのか、と。
「そりゃすごいな」
私もやってみたいよ、とロディマスが軽口を叩くとウルトラマグナスはぎろりと視線だけで司令官をすくみ上がらせた。
「それで?」
「それで、ウィーリーがダウンロードして面白かったから皆にも教えてあげようってことになって、そこにたまたま…」
「が来たってワケか」
「そう。それでは何がいい?って聞いたら、ネコが良いって言うからネコのソフトをあげたんだ」
ネコ。ウルトラマグナスは大急ぎでネコを検索する。聞いたことがあるし、なんとなく見た目も知っている。ぴょこんと飛び出た耳とすらりとした肢体、ゆらゆら揺れる長い尻尾。大きな瞳は可愛らしくもあり、魅惑的でもある。
「そうしたら?」
「の体にあのソフトがあんまり合わなかったみたいで…」
ごにょごにょと語尾を濁らす二人にウルトラマグナスは耐え切れなくなって「だから」と語気が荒くなるのも構わずに問うた。びくりと二人が肩を揺らす。
「動物になっても、普通ならちゃんと自分で制御できるんだ。でも、はそれができなかったみたいで」
「の意思とは関係なく、彼女ネコになり切っちまってるってことか?」
ふむふむと顎に手を当てて悠長に意見を述べるロディマスにウルトラマグナスは掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「な、なんだ」
「司令官、さっきの報告書はキチンと読んでおいてくれ」
「何を言い出す」
「私は部下を…を見に行ってくるから、その間さぼらずにやるんだ」
「まて、そんな面白そ…いや、部下の非常事態に私が黙っているとでも?」
「黙っていてくれ」
にべもなく言い放つと、ロディマスは空いている手でウィーリーを掴み上げてどしどしと司令室を出て行った。
「お、おいウルトラマグナス!」
ずるいぞ、と出掛かった言葉をなんとか飲み込んで、ロディマスはどんどん離れていく背中を見送った。
***
「ここだよ」
二人に案内されたのは普段は談話室として使われているホールだった。少し大きめの部屋で椅子もいくつかあり、モニターも設置されている。
「そのソフトはどうすれば削除できるんだ?」
ロックがかかった部屋の前で、ウルトラマグナスは二人を下ろしてそう聞いた。部屋の中の彼女がどうなっているのかが気になって仕方がないのだが、こればっかりは彼らに聞かなければ分からない。
「普通のソフトだから、本来なら自分で削除できるはずだよ。もし無理でも接続すれば外部から削除できると思う。パスワードもいらないし」
「そうか、なら何とかなるな」
「でもね…」
ダニエルとウィーリーは顔を見合わせると、そわそわしながらウルトラマグナスを見上げた。はて、なにか問題でもと思ったウルトラマグナスは彼らが何を躊躇しているのか分からなかったが、すぐに不安げな表情でもって「できない理由があるんだな」と確認するように聞いた。
「その、はすごくご機嫌斜めみたいで…」
「あちこち逃げ回るから、ここに閉じ込めるので精一杯だったんだ」
無理にしようとすると銃口を向けられそうになった、とウィーリーは頬を掻き掻き呟いた。ウルトラマグナスは深いため息をついて、がっくりとうなだれそうになった体を無理に起こした。くよくよしていても仕方がない。それに、二人に比べれば自分は大きいし頑丈である。彼女の攻撃を一発や二発喰らったぐらいでは倒れない自信はある。
「そんなに酷いのか」
「うーん、そういう訳じゃないかもしれない…僕たちが追い掛け回したから怒ってるだけかも。でもネコって気まぐれだから、機嫌が良くても擦り寄っては来ないんだよね。イヌと違って」
「難しい生き物なんだな、ネコは」
「そうだね。なかなか触らせてくれないし」
ダニエルはうーんと唸り、なにやら考えている様子だった。ウルトラマグナスはとりあえず二人を床に下ろすと、考え込むダニエルの頭をそっと撫でた。
「わかった。とりあえず私が行こう。君らのことは敵だと思ってるかもしれないしな」
「そうだね」
ウィーリーとダニエルは口を揃えてそう言うと、ロックを解除したウルトラマグナスの背中を見つめた。
「ウルトラマグナス」
「なんだい」
「びっくりすると思うけど…その…」
「分かってるよ」
スライドドアが静かに開くとウルトラマグナスは片手をちいさく振って、部屋に入った。
***
ドアが閉まったことを確認すると、すぐにロックをかける。部屋を見回してみても彼女らしい影は見当たらない。仕方なくセンサーを起動させると、その反応は自分のすぐ後ろで動いた。
「!」
ばっと振り返ると同時に、背中にがしゃんと何かが飛びつく音がした。細い腕が首に回り、しなやかな両足が腰にまとわり付く。ニャア、と可愛らしい鳴き声が聴覚センサーの真横で響くと、ぞくりと走り抜ける感覚に思わず身震いしてしまう。の声だ。
「、離れなさい」
彼女を捕まえようと腰に手をやると、はひらりと背中から離れた。振り返ると、嬉しそうに目を細めてぺろぺろ自分の手の甲を舐めている。ネコというのはこういう仕草をするのか、とウルトラマグナスは彼女に見とれた。悪戯っぽく笑うはいつもと雰囲気がまったく違うが、誘うように投げかけてくる視線や声に思わず引き込まれそうになる。
「」
ウルトラマグナスが腕を伸ばしていざなうと、はくく、と喉の奥で笑いぴょんと後ろへ下がった。大きなアイセンサーはきらきらと輝いて、きれいな曲線を描く唇からは「マグナス」と自分の名がこぼれた。
「話せるのか」
驚いたウルトラマグナスが思わず一歩踏み出すと、はくすくす笑って彼から逃げた。
「」
追い掛け回せるほど部屋も大きくないので、ウルトラマグナスは視線だけでを追った。ちょこまかと動き回る彼女はウルトラマグナスが追いかけてこないことを確認すると、そっと椅子に寝そべった。リラックスしたその動きにウルトラマグナスはどう反応してよいのか分からず、しばらく突っ立っていることしかできなかった。
(ネコは気まぐれ……)
今は心を許しているかのように無防備な姿を晒してはいるが、どこまでなら彼女が許してくれるのか皆目検討もつかない。
やがては大きくあくびをひとつ漏らし、アイセンサーのライトを消した。スリープモードに入ったのか、ライトを消しただけなのかは分からないが、ウルトラマグナスはとりあえず近づいてみることにした。
(起きるなよ…起きるな)
そろりそろりと近づくと、そおっと彼女の顔を覗きこむ。唇は微笑みのカーブを描いたままであるがウンともスンとも言わないところを見ると、とりあえずこの距離なら大丈夫なのだろうと判断できる。には触れないように硬い椅子にそっと腰掛けて、ウルトラマグナスはくうくう眠る彼女を見つめた。
体を丸くして自分の腕を枕代わりに眠るは、正直言って可愛い。いままで何回も彼女の寝顔というものを見てきたが、これはメモリーにぜひとも残しておきたいベストショットだった。彼女が怪しげなソフトをダウンロードしてネコになっていなければ、このまま思い切り抱きしめて存分に可愛がってやれるのだが。
(本当に寝てるのか?)
ウルトラマグナスは一通り彼女を眺め終えると、そろりと手を伸ばした。のヘッドギアに手を乗せると彼女はぴくりと少しだけ反応して、すぐに静かになった。起きているのか寝ているのか分からないが、逃げる素振りはないようだ。
(そういえば、ネコはどうすれば喜ぶんだ…)
ネコの好きなことは何だろうと検索をかけると、ずらずらと情報があふれ出てくる。とりあえず言えることは、時と場所と相手を選ぶが撫でられることが好きだということだった。
ウルトラマグナスは頭に乗せた手をゆっくり動かして、を撫でた。彼女の発声器官からくぐもった声が出てくる。子どものような甘えた声にウルトラマグナスは参ったなと、どこか嬉しそうに頬を掻いた。真面目で奥手でいつも自分の意見を尊重してくれるが、こんな声を出したことがあっただろうか?
「…」
なんとなく申し訳ない気分になりながら、ウルトラマグナスは彼女の名を呼んだ。はぴくんと体を震わせて、ゆっくりと体を起こした。淡い光を映し出すアイセンサーはぱちぱちとハッキリした明かりを何度か明滅させて、やがて青い光を瞳に映した。四つん這いになって自分を見上げてくるの肢体に、否が応でも目がいってしまう。好きな相手にこんな格好で見つめられて正気でいられる男がいるならば、それはきっとアイセンサーがイカれているからに違いない。
「……」
声を掛けるとどこかへ言ってしまいそうで、ウルトラマグナスは黙っていた。も喉の奥で甘えた声を出すだけである。しかし、四足歩行で少しずつウルトラマグナスに近づいてきて彼の広い膝に陣取ると、肩に手を掛けその胸に縋った。ニャン、と可愛らしく鳴いたりして、体を少し揺すりながら構って欲しそうに視線を寄越す。固まってしまったウルトラマグナスで遊ぶように、は胸に頬を摺り寄せてみたり、自分の手の甲にしていたようにぺろりと舌で舐めたりした。
「!!」
ぺろりと柔らかな舌が胸を這い、ウルトラマグナスは言いようのない感覚に思い切り体を震わせた。が楽しそうにくすくす笑っている。そして、続けて違う箇所をぺろぺろ舐め始めた。
接続という行為は何度もしてきたが、舐めるなんてことは今までしたことがないのでウルトラマグナスは焦りに焦って、その行為を止めさせようとした。くすぐったいが、その感覚の底には快感があるのを何となく感じていたので、これ以上続けると自分が持ちそうになかった。
「、止めなさい」
その言葉を受けて逃げようとした彼女の腰をがっちり掴むと、ウルトラマグナスは両腕で彼女を横抱きにした。じたばた暴れるに多少手こずったが、大した労力ではない。やはり彼女は自分に比べて大分非力である。
「まったく、ネコになったから悪い子なのか?それとも本当のキミはそっちなのか?」
フーッ!と威嚇するの頭をひと撫でする。しかしご機嫌は斜めのままだ。どうしたもんかと思案していると、ネコの好きなことを検索し続けていたデータベースから、ある行為が提示される。
――ネコはあごの下を撫でられるのが好き
ウルトラマグナスはの顔をジッと見つめると、まるいフォルムの先端にある顎を捉えた。そこから首へと伸びるライン、ここを撫でられるのが好きということだ。
「そんなに怒るな」
そっと顎の下を撫でるとは威嚇を少しずつおさめて、唸るような声を漏らした。するすると何度も手を行き来させ、すべらかなラインを撫で回す。何かに耐えるように唸るは、快感に屈すまいとなけなしの”ネコ”のプライドを必死にかき集めているようにも見える。我慢している顔もそそるな、などと思ってしまった自分にぎくりとしてウルトラマグナスはぶんぶんと頭を振った。
ふみゃ、と気の抜けた声が漏れると、はくてんと体から力を抜いた。どうやらよっぽどお気に召したらしい。こしょこしょと撫で続けているとは体を震わせて悦んだ。あお向けで無防備に晒されたボディと喉の奥から漏れる甘い声がひどくウルトラマグナスのスパークをかき乱した。何のために自分がここにいて、こんなことをしているのか、その理由を見失いそうになるぐらい魅力的なシチュエーションだ。
(いかんいかん)
から例のソフトを削除しなくては、と自分の体からケーブルを取り出すと彼女の体のアウトレットを探す。だいたいの位置は把握しているのだが、どこでも挿入できるというわけでもない。自分が知っているのは頸部と腰部にあるアウトレット。あとは胸の横であるとか、背中だとかにあるものなのだが、如何せんハッチが開きそうにない。
(どうしたものか)
足の間にある腰部のハッチなら無理やり開けても他への影響は少ない。頸部のハッチは幾多ものケーブルが密集する部分なので開放には時間を要する。ウルトラマグナスは、はあとため息をついて抱きかかえたの足を割った。そういう行為をするわけではない、目的は違う、いかがわしいことではない……ウルトラマグナスは自分に言い聞かせるように何度も反芻して、ハッチを破壊した。安心しきっていたがびくりと震えるが、構うことはできない。
「すぐ終わるからな」
果たしてそうだろうか、と発言とは逆のことを考えながらウルトラマグナスは自分のケーブルを件のアウトレットに接続した。が甘い声で鳴く。頼むからそんな声を出さないでくれ。
を見ると、ふるふる震えながらそっとアイセンサーを自分に向けていた。上目遣いに見られる格好になり、ウルトラマグナスは盛り上がりまくった気分をなんとか下げようとアイセンサーや聴覚センサーをシャットアウトしてみたりしたが、感覚が無くなると余計に想像が膨らんでしまうので止めた。
かちんとケーブルが奥まで届いたことを確認すると、ウルトラマグナスはの頭を撫でて「怖くないから」と何度も言った。おとなしくしているのだから言っている間にさっさとやってしまえばいいのだろうが、さっきまで強気だった彼女がびくびくしている様は見ていて楽しい。そんな意地悪な思考はダメだと思いつつも、いつもと違う恋人の姿にウルトラマグナスは一種の興奮を覚えていたのだった。
「怖いのかい」
は小さく鳴いた。それが何を示しているのかはわからないが、あまり歓迎されている風ではない。頭を撫でて額にそっとキスを落とすと、は自分の体を押さえているウルトラマグナスの腕に触れた。少しだけ震えている。
「大丈夫、すぐ終わる。それに、ちゃんとガマンできたらご褒美をあげよう」
言葉の意味が伝わったのか、はひょこんと頭を持ち上げてウルトラマグナスを見た。彼はにんまり笑って、彼女の鼻をちょんと突いた。
「さ、じっとしてるんだぞ」
ウルトラマグナスはブレインサーキットをフル稼動させて、地球の生命体・動物体験ソフト―ネコ編―をきれいさっぱり削除した。きゅいんと彼女のブレインサーキットが唸る。アイセンサーから光が失われて、がくんと体から力が抜けた。無理やり割り込んでコントロールしたから一旦終了しないといけないらしい。
じきにアイセンサーに光が点り、はゆっくり目覚めた。そして、自分がウルトラマグナスに抱かれていることに気づいて「え!」と大きな声を上げた。
「ウルトラマグナス!なんで、こんな」
「何も覚えてないのか」
「何をですか?」
「ダニエルとウィーリーにソフトを貰ったろう」
「ソフト…?…あ、ああ、ネコのですね。でもなぜあなたが?」
「まあ、キミが眠ってる間にいろいろあってね」
ウルトラマグナスがにこやかにそう応えると、はきょとんとした顔でそれを見つめ、それから体に違和感を感じてアイセンサーをせわしなく動かした。そして、腰部のアウトレットにしっかりと接続されたケーブルを見つけてしまった。
「マ、マグナス。これはどういうことですか?」
「うん?ああ、それはな」
ぎゅっとを抱きしめて、ウルトラマグナスはことさらに甘い声で彼女の聴覚センサーに囁いた。
「がんばったキミへのご褒美だよ」
ご褒美はこれからだがね、とウルトラマグナスが笑うと、訳の分からないは呆気に取られて固まってしまった。
「マ、マ、」
「ああ、あと。キミはガマンしすぎるからな、もっとワガママを言っていいんだぞ」
「…ではワガママを一ついいですか」
「なんだい」
「いますぐ、接続を、外してください」
「それはダメだ」
「何でですか!」
じたばた暴れるを抑えながら、ウルトラマグナスは穏やかに言った。
「さっきも言ったろう。これはキミへのご褒美、だからね」
その日、談話室のロックが解かれることはなかった。