くちづけが欲しい

 どんなに饒舌な者であっても、言葉を飲み込まなければならない時がある。

 馬岱は口数の多い男である。対する妻のは、周囲の人間が良人に言葉を吸い取られているのではないかと思われるほどに口数の少ない女だった。
「それでね、若ったら・・・」
 と主の話をしたかと思えば、
「この前の陣形は、やっぱり失敗だったと思うんだよ」
 などと、には分からぬ話をする。
 しかし彼女は滅多なことでは良人の話を遮らない。話している良人の顔が、実に楽しそうだからである。一筋縄ではゆかぬ男であるが、を相手に話している時の表情は、素朴なものであった。そして、ふっと緩められた目元であったり、ときおり添えられる大きな手から感ぜられる優しさを、は知っていた。
 相も変わらず止まることを知らぬ唇は、歌うように滑らだ。
 まれに、その唇を邪魔してやりたくなる時がある。しかし馬岱に言葉をかぶせることは難しい。何もかも拾い上げられて、彼の中に吸い込まれてしまうからだ。

 寝台でを膝に乗せ、馬岱は楽しそうに言葉を繋ぐ。ときおり確かめるように彼女の瞳を覗き込むと、はこくりと頷く。良人が微笑み、頬に手を添える。が、妻がその唇を注視していることには気が付かない。そうしてまた彼がさえずり始めると、はそっと白い二本の腕を伸ばす。良人がそれを取るより早く、白い指先は唇をたどり、頬をすべり、耳の後ろに添えられる。
 力いっぱい良人の頭を引き寄せると、彼にしては珍しく、あわてふためくさまが一瞬見えた。同時にも顔を近づけた。良人の表情は、もはや重なり合ってしまっているから、見ることが出来ない。
 ついばむように何度か接吻を交わし唇を離すと、驚く良人の顔が良く見えた。
「どうしたのさ」
「いえ」
「笑ってる」
「そうですか」
 知らず知らずのうちに、の唇は曲線を描いていたようだ。しかし、驚く良人の顔は、実に気分が良い。

「いけません」
 とが言う。良人のせわしない唇を黙らせるために、もう一度押し付けるような接吻を。
「何で駄目なの?」
 唇が離れるや否や、また動き始める良人のそこを認め、
「くちづけが欲しいのです」
 と、悪戯っぽく微笑んだ。
 馬岱は瞳に熱をはらませて、を見つめる。
「じゃあ、沢山してあげる」
 そうして、飲み込まれたはずの彼の言葉は、妻の中に注がれることになった。