四.

ちゃん、大丈夫?」
「あ、はい…少しくらくらしていただけです」
「無理をしなくて良いのよ。疲れたらおやすみなさい」
「大丈夫です」
 姫の自室に招かれたたちは、薄暗い部屋で眠気と戦うように居ずまいを正した。
殿も」
「わたくしはだいじょうぶです」
 ほんのり頬が赤い程度だったも、時間を経るにつれ出来上がっていく様が良く分っ た。今では頭を少し揺らしながらも、まだ酒を飲んでいる。
「皆お酒に弱いのね」
 小さな杯に止め処なく酒を注ぎ、飲み続ける姫が言った。
(貴女が強すぎるんです)
 とは言いたかったが、何とか押し止めた。彼女は此処に来てから茶以外のものを口 にしていない。特に酒は、彼女自身あまり強いほうではないので自重して避けているのだ。
どのはお酒を嗜まれないのかしら」
「すぐ酔うてしまいますゆえ…それに私は様の付き人でございますから、いただくわ けには参りません」
「そんなことは気にしなくていいのよ。それに、一人だけ飲まないのも楽しくないでしょ う?」
 姫がぐいぐいと杯を勧めてくるが、は頑として受け取ろうとはしなかった。もし 此処で自分が酔っ払ってしまったら、の介抱は出来なくなるし、なにより酔っ払った 自分が何をしでかすか分ったものではない。
(失態は絶対にあってはならない)
 と、は来る前から心に決めているのだ。
「じゃあ、お話しましょ。二人はそのうち潰れてしまうでしょうし」
 ころころと笑いながら姫が言うと、は思わず背筋が伸びた。
(長丁場になりそう)


どのは、いま困っていることがお有りかしら」
「困っていること、ですか」
「ええ、お家のことでも、夫婦のことでも」
 艶然とした姫が、どこかからかうような調子で言った。
「…いえ、特には」
 有る、大きな問題はあるのだが、それをこの人に言っても仕方がない。には夫婦間 の悩みをおいそれと口外するほどの度胸はない。どうすれば良いかなど、私ではなく良人 が考えるべきことなのだから。
「そうかしら」
 の左近への対応、左近のへの視線を見れば、この二人がどうにかなっているだ ろう事は火を見るより明らかである。屋敷に入ってから、一言も言葉を交わさぬだけでな く、視線のやりとりすら無いのだから。
「何かあったのだろうぐらいは、他人の私でもわかるけれど」
 姫の視線と言葉を受けながら、は首筋がかっと熱くなるのを感じた。他人に知ら れて最も恥ずかしいとされることを、初見で見破られてしまうほど自分は露骨だったか、 と思わずには居られない。
「言ってごらんなさいな。解決できなくとも、言うだけでも気が晴れるというものですよ」
 は黙っていたが、もすでに夢の中で姫と二人きりだと思うと、ついと 口から零れ出る言葉を止めることができなかった。
「他言無用にお願いいたします」
「もちろんですよ。女子同士の秘密にございます」
 そう言って、姫は菩薩と見まごうごときの神々しい笑みを浮かべた。

***

「秘訣、ですか…?」
 年長者に囲まれて、幸村はいささかの緊張を感じながら言葉を選ぶ。
「そうだ。特にお前のところは歳が離れているし…どう接しているのかと思うてな」
 ぐるりと円を描くように座っている男四人は、それぞれに杯を持ち、手酌で杯を進めて いた。その中で酔った様子も無く、杯を進めるわけでもなく、幸村は目の前の三成を見な がら頬を掻いた。
「いえ、特に意識していることはありませんが…」
「いや何かあるはずだ。無意識にせよ、気を使っているところが」
「あるはずだと言われましても…」
 語尾がどうしても濁ってしまうのは、聞いている三成の顔が段々赤くなってきているか らだろうか。幸村は救援を要請すべく兼続に視線を遣るが、彼はそれを楽しむばかりで一 向に言葉を発しない。次に幸村が求めた援護は左近であるが、彼は火種が自分であるだけ に余計なことを口走れない。こういうときの主は、いつにも増してお人が悪いのである。
「……無粋なことを聞くようだがな、幸村」
「何でしょうか」
 兼続が言葉を発すると、幸村は嬉しそうに答えた。
どのはまだ十四五だが、もう閨には入ったのか」
「な、直江の旦那」
「か、か…」
 その言葉には幸村どころか左近も吃驚した。いくら男ばかりで宵も深まって来たとはい え、友人に対していきなりそれはないだろう。
「うん?これは大きな問題のひとつであると思うのだが」
「いや、あの…」
「仲睦まじいからと言って閨に入るわけではないが、やはり見定める基準にはなるだろう?」
「えっと……その、まだですが…」
「そうか、まだか」
 幸村は恥ずかしそうに俯いてしまった。左近は可哀相にと思いながらも、できるだけ傍 観に徹しようと、口を一文字に結んだままぴくりともしない。
「まあはまだ子どもだからな。手を出すには少し早かろう」
「三成、それはどのに対して失礼ではないか?」
「小さいときから見ているのだ。少しばかり大きくなっても変わらん」
「はあ…」
「しかしな、幸村。はあれでいて大胆な女子だからな。油断すると向こうから夜這い を掛けられるかもしれんぞ」
「よ、夜這いですか」
「ちょっと殿、言いすぎですよ。お酒が入りすぎてるんじゃあないですか」
 これにはさすがの左近も口を挟まずに入られなかった。彼を止めることができるのは、 この中では自分だけのようだった。
「左近、そういうお前はどうなんだ。助けたに突っぱねられてるじゃないか」
 話題がそれてこれ幸いと、幸村は三成に聞いた。
「助けた、とはどういうことですか」
「此処に来る途中に、が追いはぎに襲われてな」
「なに、そんな事があったのか」
「何もなかったし、煩わしいので言わなかったのだ」
「ふむ。それはいかんな…」
「それで、左近どのが奥方をお助けに?」
「そうだ。だが、は左近ににこりともしない」
「…」
 幸村は思わず左近を見る。彼の奥方はすこし小柄だが、華奢ではない、どちらかという と豊満な体つきの女であった。朗らかで優しそうだという印象を、彼は持っていた。
「ここに来るまでに喧嘩でもしたんだろう。何をしでかした?白粉の匂いでも付けて帰っ たのか」
 三成が仰いでいた扇子をたたみ、ぴしゃりと手のひらに打ち付けた。
「いい匂いのお姐さん方とは、大分前に縁を切ってますよ」
「ぬ。島どのはそういう遊びをされるのか」
 女遊びなどした事が無さそうな兼続は、左近に好意的ではない視線を向けた。妻のある 身で他の女子にうつつを抜かすは笑止千万といったところだろうか。彼には側室がないか ら、その論理は成り立つのだが。
「昔の話です。まあ、きれいなお姐さんの相手は嫌いじゃないですがね」
「そうか、はそれに業を煮やしたか」
 兼続以外は側室を置いているとはいえ、あからさまな女遊びをしている者はいない。三 成はふうっと息を吐くと、「それはどう考えてもお前が悪い」
「だから、違いますって」
「では何なのですか?奥方がそんなに怒るだなんて」
 とは喧嘩などした事はないのだろう幸村が、不思議そうな顔をこちらに向けてくる。
「…」
「指揮官どの、この際だし言ってしまってはどうだ?解決にはならんかも知れぬが、愚痴 ぐらいなら皆で聞けるぞ」
 兼続がそう言うと、左近は降参とばかりに手を挙げて、「それじゃあ、悲しい男の話を 聞いていただきましょう」と言った。
「ただし、他言無用ですぜ」
 と、付け加えて。



五.