二.
「左近さま、来てくださったのですね」
「お待たせしましたか?」
小柄なは左近を見上げる形で言葉を放った。上目遣いの彼女を可愛らしいと思いな
がら、左近は勧められるままに彼女の隣に腰を下ろした。
「いいえ。この前お会いしたばかりですし」
「それもそうですな」
くすくすと笑い合うと、は双眸を左近に向けた。
「今日はなんのお話をしてくださるのですか?」
ああそうだ、となぜだか左近は納得して、彼女に話しやすそうな己の行脚記を探す。
「そうですねえ…腕利きの忍びの話、なんてのはどうでしょう」
「忍びですか。面白そう!」
純粋な反応にほっとする。殿もこんなふうに素直になればいいのに。
「では。これは俺が東の国に行ったときの事です…」
「すごい!それで、その忍びはどうなったのですか?」
「気になりますか?」
「とっても!」
は始め大人しく座って話を聞いていたのだが、内容が勢いを増してくると次第に身
を乗り出して来た。左近がそれに拍車を掛けるかのように身振り手振りを加え、語気も激
しく語りだすので、彼女の体はいよいよ前のめりに近づき、いまではもう左近に程近い所
まで体を動かしていた。
「なんとその忍びは」
「しのびは」
「目も回るような速さで跳躍し、この左近の頭のさらに高く、木のてっぺんまで登ってし
まったのです」
「木の…」
「てっぺんです」
は興奮気味に聞き入る。しかし左近はそれを宥めるかのごとく最後に付け加える。
「けれど忍びは俺には目もくれず、そのまま木々を渡って消えてしまったのです」
「まあ」
「それ以後、左近は忍びを見ておりません」
「左近さまが怖かったのでしょうか」
「どうでしょう」
左近がとぼけると、は彼の隣に転がる獲物を見た。
「だって、そんなに大きな刀を持っておられますし」
左近は右手を畳に触れさせる。そこにはなじみのある硬い感触があった。
(なんだってこんな所にこいつが)
大刀を持ち上げて、彼女との間にそれを置いた。
「これですか」
「ええ、わたくしなら向けられただけで気を失ってしまいそう」
「お嬢さんに向けることは死んでもないと思いますがね」
苦笑すると、はまじまじと大刀を見た。
「すごく重そう」
「お嬢さんの何倍も重いですよ」
「さわっても?」
「刃の所じゃなければ」
ゆっくりと手のひらを近づけるに、左近は相貌を崩さずに入られなかった。ふるえ
る指先のなんと白きこと。
「あ」
きれいな手が、ごつごつした大刀に触れたかと思うとすぐに離れた。やはり少し怖いの
だろうか。
「噛み付きやしませんよ」
「…ごめんなさい。思ってたよりも冷たくて」
「鉄の塊ですからね」
左近は大刀におとらぬ武骨な手で相棒に触れる。はそれに倣うように彼の手の近く
に白い手のひらを落とした。柔らかい感触がすこしだけ左近に伝わる。
「なんともないでしょう?」
「はい」
「俺の大事な相棒です」
「…名前はあるのですか?」
「名前?」
左近は素っ頓狂な声を上げた。確かに名のある刀というのはこの世の多く存在するが、
生憎こいつには名前が無い。
「作ったやつなら知ってますがね」
「これの名です」
は至極真面目に聞いているのだった。左近は一息おくと「まだねぇんですよ」と答
えた。
「それなら、お嬢さんが付けてくださいよ」
「えっ」
予想だにしなかった展開に、は慌てた。
「こいつの名」
「そ、そんなこと」
「良い名をつける自信が有りませんし、お嬢さんにつけて貰えるなら、よろこんで使わせ
ていただきますよ」
目を真ん丸くしたまま固まるに、左近はもう一度お願いをした。すると、彼女は恥
ずかしそうに俯きながら「考える時間を下さい」と答えた。左近は満足そうに笑いながら
応えた。
「ええ、ゆっくり考えて下さい」
三.