三.
名無しの相棒を振りかざし、左近は一人、また一人兵卒をなぎ倒していく。統率の取れ
なくなった兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「ここはもうおしまいだな」
帰陣の太鼓がかすかに聞こえ、左近は馬首を返して進んだ。すると、くしゃっと何かを
踏み潰す音。
「?」
視線を下げると、そこには馬やら人やらに踏み潰されて見るも無残な文目があった。
(文目か…)
そういえば夢の君はどうしているであろうか。ここしばらくは戦ばかりでろくに寝てお
らず、寝ても夢など見るまもなく熟睡しているものだから、めっきり会っていない。所詮
夢なので、もうあえない確率の方が高いのだが。
(名前をもらえる良い機会だったんだけどな)
どこかであの娘に会いたいと思っている自分に、左近は己の事ながら驚いた。あの娘に
会ったときの目覚めは最高に良い。なぜだかは分らないけれども。
(可愛いし、楽しいし……気分の良いことには何度でも会いたいね)
馬を走らせながら、左近は夢のことばかり考えていた。
「戻ったか」
「は」
「最早ここに長居する必要もない。早速出るぞ」
左近を出迎えた三成には疲労の色は無い。表情を取り繕うことに関しては右に出るもの
はいない(と左近は思っている)のだから、当たり前といえば当たり前である。
「…」
「左近」
「……は」
三成はおもむろに馬首を寄せてきた。
「なにを」
すっと扇を取り出すと、広げずに彫の部分でぴしゃりと額を打った。
「呆けておるか」
以前とは比にならないほどの衝撃だったが、左近はなされるがままでいた。今回は、打
たれても仕様がない。
恐らく、自分は彼とは逆の顔をしていたのだろう。踏み潰した文目と夢のことが気にな
って仕方が無いのだから。
「よそ見は屋敷に帰ってからにしろ。士気にかかわる」
「…申し訳有りませぬ」
馬首を音も無く翻すと、三成はすばやく去った。その顔には皺が寄っていた。
***
左近が自室に帰ると、机の上に白い紙があった。誰からかの手紙だろうか。
「だれだ…?」
手に取ると、表は真っ白で何も無く、とても薄い。ぱらりと中を確かめると、見たこと
のある字で清興さまと書かれた紙が入っていた。さらにそれを広げると、同じ字で近頃会
えずに心配です、お元気ならばまた会いに来て下さいという内容の文章が書かれていた。
「お体に気をつけて、…」
左近は思わず声を出して読んだ。最後に書かれていた名前は、夢の君ではないか。
「?」
そんな事があろうはずがない。これは何かの間違いだ。俺以外に誰が彼女の事を知って
いるというのだ!
「落ち着け」
左近は声に出して自分を落ち着けようとするが、その行為がさらに焦りを掻き立ててい
た。
「夢だ、夢をみれば分る」
左近はうわごとのように呟きながら、俺は寝る、とひときわ大きな声で言った。
ふわりと浮き上がるような感触。辺りを見ると、いつもとは違うきれいな庭園に自分は
立っていた。香る甘い匂い。花畑でもあるのだろうか。
「……さま!…」
もやもやと立ち込める霧の向こうから、聞きなれた可愛らしい声がする。左近は思わず
「ここにいますよ」と声を上げながら、彼女の方へ近づいて行った。
「さん」
「左近さま」
二人は目が合うと微笑み、手を取り合って奥へと進む。それが何処に続くのか、頭では
分らないが、体は覚えていると言わんばかりに足が進んだ。すぐ先に、雨水をしのぐ程度
の小屋が建っていた。
「お久しぶりですね」
「そうですね……少し立て込んでいたもので」
「お体が悪いわけでは?」
「このとおりぴんぴんしてますよ」
左近は片手で大刀を少し持ち上げながら笑った。はくすりと笑い「名前、まだ考え
中ですの」と呟いた。
「ああ、構いませんぜ。ゆっくり考えてください」
はほっとしたような顔で「手紙を見てくださったのですか」と言った。
「見ましたよ。突然だったので驚きましたが」
「長くお会いしなかったものですから…左近さまに何かあったのかと思いまして…」
「お嬢さんに心配して頂けるだなんてありがたい」
そう言って笑うと、は顔を赤らめて俯いた。思わず、その小さな顔を両の手のひら
に収めて、こちらを向かせたいと思ってしまう。
「前にも文目を入れて贈ったことがありますが……覚えてらっしゃる?」
「もちろんですとも。部屋に飾っていますよ」
「この庭にある文目なのですよ」
が立ち上がり彼をいざなうと、そこには見事な文目畑が広がっていた。くらりと傾
きそうになる視界をなんとか抑え、左近はを見た。文目に目を向けていた彼女はやが
て彼の視線に気づき、不思議そうな顔でこちらを見た。
「どうかしましたか?」
「文目は、ここのを手折ったのですね?」
「ええ、そうです」
じいっと見つめる左近の瞳に、はきょとんとしたまま突っ立っている。
するとおもむろに腕が伸ばされ、彼女の美しい黒髪を掬った。
「…あの、」
「さんは」
彼の言葉を遮られて、は口を閉じた。
真面目な顔をした彼がゆっくりと近づいて来て、大きな手が顔を包む。目の前に現れた
双眸は、目を話すことが出来ないほどに力強く、獰猛な色を映していた。
「俺のことが」
切れ切れになる言葉に、喉が渇くような感触を覚える。言えばすっきりするだろうか。
「さこん、さま」
手の内にある小さな顔は、だんだん薄れてゆく。思わず引き寄せ抱きしめるが、時すで
に遅し。愛し夢の君は、抱きしめる間にもどんどん水のように地面に崩れ落ち、文目の上
に多くの雫を残したきり、消えてしまった。
四.