四.

さんっ」
 がばりと起き上がる。しかしそこは見知った天井と布団。左近は荒い息を吐きながら、 どうしよもない気持ちを御しかねていた。
(手紙、手紙は彼女が書いたのか…?…しかし夢の住人にそのようなことができるはずな い)
 は確かに手紙を書いたと言った。それにあの文目畑。初めて手紙を貰ったときに挟 まっていた物と同じだった。左近は頭が混乱した。何が現実で、何が夢なのかすら怪しく なってきて、気が狂ってしまいそうだった。
さん、あんたはこの世にいるのか)
 いなければいないで構わない。いればそれに越したことは無い。がんがんする頭に、彼 は水を頭から被りたい衝動に駆られた。
(落ち着け、落ち着け)
 思うほどに苦しく、左近は大きく息を吸った。

***

「暇…ですか」
「そうだ」
 突然呼び出された左近は、三成の言葉にぐうの音も出なかった。
「少しの間なら放っておこうかと思ったが…思いのほか重症のようだからな。しばらく頭 を冷やして来い」
 時が来れば迎えを寄越す、と三成は左近の目を見ながら言った。左近はそこから逃れよ うと視線をそらした。
「しかし、俺の仕事は」
「そんなに長居するつもりなのか?ひと月かふた月のことであろう。それぐらいなら俺がな んとかする」
「しかし」
「いいから行け」
 三成の気迫に押され、左近は頸を縦に振るほか無かった。




 三成の紹介でやってきたのは、屋敷から馬で三日ほどの所にある簡素な寺だった。
 まるで出家しろといわれているような気がして溜まらなかったが、僧たちの丁寧な対応 のおかげで、そういう気分になるのは免れそうだった。

 庭には小さな垣根があり、その根元に文目が咲いていた。
 左近は目を細めてそれを見る。

 露と消えた夢の君、貴女はいまどうしているのだろうか。
 

(これじゃ本末転倒だな)


 三成は夢のことを忘れよということでここの自分を寄越したのだろうが、これだけの文 目があって、どうしてそのようなことが出来よう。あのような別れ方をしてしまったのだ。
 気にするなというのはどだい無理な話である。

(夢の中で逢引とはね…)
 俺の頭もどうかしちまったのかね、と今さらながら苦笑して、左近はその日も眠りにつ いた。








「さこんさま」
 いつもより控えめな声で、は左近に声を掛けた。左近はゆっくりと頸をそちらの方 にやる。いつもとは違う格好のがいた。
「めかしこんでますねえ」
「おかしいですか?」
 が不安げに尋ねると、左近は笑って「よくおにあいです」と言った。煌びやかとは 言いがたいが、美しい絹を使っているということは自分にも分った。触ればするりと指先 を攫っていってしまいそうなその質感は、触れずとも手に取るように分った。
「そんなにきれいにして、どうしたんです」
「…」
 は黙ってしまい、左近から目をそらすように頸を横に避けた。
「左近さま、はもう会えないかも知れませぬ」
「会えない?」
 左近が目を丸くして驚く。は言い難そうにくちびるを噛んだ。
を嫁に欲しいと仰るお方が現れたのです」
「えっ」
 の目がきらきらと輝く。光が当たると、瞳がゆらゆら揺れているのが良く分った。
「左近さま、はおよめになど行きたくありません」
「……しかし、」
「父上はゆけと申されます。行かなくてはならぬと分ってはいます」
 は瞳から溢るる涙を拭おうともせずに、左近の袖を握った。
 白い手が震えている。
「お家のためです。が断ればお家が潰れてしまうかもしれません」
「……相手は、相手はだれです」
 左近はわななく腕を止めることで頭が一杯だった。この可愛らしい方は、誰のものでも ない。俺のものだ、と頭の中でそればかりが木霊する。
「分りません。教えてくれぬのです」
 しがみ付くように袖を握る力を強くしたを、左近は力加減もせず抱き寄せた。今度 は露のように消えることも無く、やわらかい温かさが腕の中に収まった。
「帰しません」
 左近は彼女の耳元で呟いた。
「左近がここから帰しません」
「さこんさま」
さん」
 腕から逃れるように彼の胸を押していたは、緩くなった腕から彼を見上げた。怒っ ているような、泣いているような、複雑な顔をした左近がいた。
「いきたくありません」
「どこへもいかないでください…左近がお嬢さんをお迎えします」
「ほんとうに」
さんのいる場所さえ分れば、左近が…」
「さこんさまっ」
 は顔をこすり付けるように抱きついてきた。左近はそれをしっかり受け止めてやる と、腕の中で震える体を慈しむように撫でた。



五.