五.
「島どの」
「ああ、和尚さまかい」
夢見が良いのか悪いのか、別れとも取れる抱擁を交わしたあと、左近はゆっくりと起き
上がって庭に出ていた。目の前に広がるのは文目の群れ。
「文目がお好きなのですかな」
「いや、そういう訳じゃないんだがな」
誤魔化すように目をそらし、きれいな卵形の体をした和尚を見た。
「郭公、鳴くやさつきのあやめぐさ、あやめも知らぬ恋もするかな」
「へ?」
「ご存知ですかな?」
和尚はにっこり笑いながら左近に訊ねた。
「いや、初めてだ…」
「ほととぎすが鳴く五月のあやめ草よ、あやめ(物の筋目)もわからない恋をするもので
あるなあ……ということです。突拍子も無く始まる恋というものも、悪くは無いですぞ」
のう島どの、と和尚は笑いながら言った。左近は吃驚して彼を見る。
「もう少しお待ちなされ。いまにここの文目は枯れて無くなってしまいます。そうなれば、
少しは気も楽になっておられるでしょう」
「あんた…」
「霊(くし)ぶる力を持つ女子もおるものですなあ…あなたもそのようですけれど」
からから笑いながら、和尚は廊下を伝って本堂へ歩いていった。残された左近は、文目
の群れを見つめ、そこにの姿を見ようとしたが、全くと言ってよいほど彼女の容姿は
思い出せなかった。
***
それからふた月ほど左近は寺にいた。
和尚の言うとおり、まもなく文目は枯れ、それから全くと会うことは無かった。
「島どの、書状が届いておりますぞ」
「あ、ああ。かたじけない」
「どうです、ご気分は」
左近は書状を受け取りながら「大分いいですな」と応えた。
「それはよろしゅうございます」
和尚の前で、彼は書状を開いた。三成からのもので、二日前に迎えを寄越したと書かれ
ていた。
「どうやらお迎えが来たようです」
「そうですか。ならばすぐに支度いたしましょう」
「頼みます」
和尚の姿が消えると、左近は枯れて野に伏す文目を見た。
「さん、あんたとはあれっきりでお別れのようだぜ…」
ふうっと息を吐く。
やはり全ては夢まぼろしであったのだ。
思い出せないの顔を考えるのは止め、左近は手に残るやわらかい感触だけをゆっく
り思い出していた。
六.