機織恋歌

一.

「ふうむ」
 きれいに巻かれた煌びやかな生地を手に、曹操は感嘆の声を漏らした。彼の前に跪いて いるは、顔を上げずに
「如何にございましょう」
と問うた。
「おぬしはいつも儂が思っている以上に良いものを持ってくるから困る」
 本来の目的を忘れそうになるな、と笑いながら答えると、は深々と頭を下げる。
 
 は元々大きな商団の中で機織を生業として、各地を転々をしていた身であった。そ して、その生地が偶然この曹操の目に止まり、商団から引き抜かれ、彼の個人的なお抱え 職人となったのである。時間をかけて一人で仕事をするため、ひとつの物を仕上げるには 大層時を要するが、曹操は何かにつけて彼女にこまごまとした仕事を頼むのが常であった。

「そういえば、お主いったい幾つになった」
「二十になるかならぬか…といった所でございます」
「良人はおったか」
「いえ…もう随分行き送れてしまいましたし、そちらの方にはとんと目が行きませぬゆえ」
 そう伏せ目がちに話す相貌は、磨かれてこそいないものの、元々の作りがよく整ってい るため、優しげな柔らかい美しさを滲ませている。
「勿体ない」
「は?」
 はあ、と吐き出すと曹操はをじっと見つめながら、もう一度「勿体ない」と呟いた。
「お主に男が寄らぬのは、飾らんからだ。元が美しいのだから、もっと飾ればよかろうに」
 心底残念そうに曹操は呟く。もっと着飾れば、美しくすれば、と思わずにはいられない。 本人が望まないのならば、無理強いしようとは思わないが、はわざとそれをせぬよう に、自分を押さえつけているような気がするのだ。
「わたくしが着飾る必要はありませぬ。作るものが綺麗であればよいのです」
 すっぱりと言い捨てられて、これまた曹操はがっくりと肩を落とす。本人にその気が無 ければどうしようもない。
「お主、好いた男はおらんのか」
 その時のの微かな表情の変化を、曹操は見落とさなかった。城に出入りしていれば、 周りは男が多いのだから、少しぐらいは気に止める相手も居よう。
「いえ」
「そうか?…あまりそういう顔には見えんが」
 こうなりゃ言い当ててやる、とばかりに曹操の顔に喜色が浮かぶ。はそれには気付 かず、ただ黙している。元来あまりお喋りな女ではないが、この手の会話になると殊更だ んまりを決め込んでしまう。
「お主が会ったことのある男といえば…」
 ぐるぐると家臣の顔を思い浮かべてみる。しかし、彼が知らない人間の方が多いという 事は、この際あまり問題ではないらしい。彼のわかる範疇で、勝手に話しが進んでしまっ ていた。
「儂がつれてきたことがあるのは悪来と虎痴と…公達もおったか…文若もだな…ええとそ れから…子桓に子建に…」
 聞こえてくる言葉には耳を貸さずに、はただ俯いて思考を他へ持っていこうと頭を 働かせる。すると、重みのある足音が聞こえてきて、彼女がいぶかしんで顔を上げたとき には、曹操が声を上げていた。
「そうじゃ、元譲もあった事があるな!」
「何を言っとるか」
 が驚いて振り向くと、つかつかと近寄ってくる隻眼の男がひとり。曹操は夏侯惇と の顔を見比べると、にやっと笑って
「元譲、おぬしこの女子を覚えているか」
と聞いた。すると夏侯惇は
「うん?…ああ、機織の職人だったな」
「そうじゃ。名は覚えて居るか」
「なんだ、やけに絡むな。たしか…だったか?」
 うんうんと頷く曹操に首をかしげる夏侯惇は、跪いたままのを見つめながら「久し ぶりだな」と声をかけた。
「お、お久しゅうございます。将軍」
 はびっくりして思わず声が上擦ってしまったが、夏侯惇が彼女の腕を取ったので、 それ以上に驚いて飛び上がりそうになってしまった。
「あ、ああ、あの」
「いつまでもそうしていたら、腕やら腰を痛めるぞ」
 そういう問題ではない!とは声を上げそうになるのを押さえながら、曹操を見る。 さすればこの主、膝に両肘をついてにやにやとその光景を見つめているではないか!
「そ、曹さま、将軍もいらっしゃいましたし、わたくしはこれで」
「そうか?」
「はい」
「元譲も来たのだから、もう少し話していけばよかろうに」
「いえ、将軍はわたくしと話をしている暇など御座いませんでしょう。それにわたくしは ただの機織女、殿方が喜ばれるようなお話しは持ち合わせておりませぬ」
 それでは失礼とそのまま出て行きそうな格好のを捕まえて、曹操は件の笑顔で夏侯 惇に言った。
「のう元譲、これと話をしてみぬか」
「お前な…彼女忙しいんだろう。嫌がっているではないか」
「お?は嫌か?」
「い、いやではございませんけど」
「では話していけ。なあに、とって食ったりはせぬよ」
 うぐぐ、と言葉を飲み込むを他所に、曹操はいたく喜んでいた。


次項

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