三.
「ふむ。これはまた美しい」
苦心の末に出来あがったものを差し出せば、曹操は少し驚いた風にを褒めた。彼の
言ったとおり、毎日毎日好きな男のことを思って織った代物である。そうでも言ってもら
わないと、報われない。
「前とは違うだろう。自分でも分かるか?」
「感覚としては何かつかめたような気がします」
「ではその感覚を忘れぬようにな」
なんにせよ成功らしい。はほっと胸をなでおろす。
「で、お主の想い人とはだれなのだ」
気を抜いていた所に入った一撃は、重かった。
「そ、それは聞かない約束です」
「そうだったか?…まあ、良いではないか。減るものでもなし」
「減ります!」
「なにが」
私の恋心が…などと死んでも口には出来ないが、叶うことのない恋であるから、だれに
も話したくないのである。
「わたくしの心のうちにあるからこそ、織物でそれを表現することができるのです。明る
みに出てしまっては、織物に込める想いがなくなります」
「口に出るほど溢れるような想いではない、という事か?」
はぎりぎりと歯軋りでもしそうな形相で唇をかみ締めることだけにとどまった。口
に出来ようものなら、どれだけ楽か。
「皆が皆、口に出せる想いばかりではありませぬ」
「そういうものか」
「少なくともわたくしはそうです」
ふうん、と曹操は不思議そうに答える。彼ほどの実力と自信と、生まれもっての素質が
あれば、他人を想い、口に出すことなど当たり前のことなのかもしれない。しかし、自分
はそうではない。
「ならば言わんで良い。良いものが作れなくなる方が一大事だ」
は短く答えると、黙礼して部屋を出た。
そんな青い時もあったのだなあ…とは恥ずかしさで一杯になる。今やその恋心を織
物に込めることに、なんのためらいも無いが、それは彼女がそうすることでより良いもの
が作れるという自信が出来たからであり、別に恋が叶った訳でも、誰かに話したという訳
でもない。しかし、最近は織物にの想いが映っていると頻繁に曹操から言われるので、
どうやら彼に関しての自制が効かないらしい。
(最近は暇があれば考えているものね…)
止めよう止めようと思っても、あふれ出る感情に蓋ができるほどまだ人間が出来ていな
い。むしろそのおかげで様々な模様や色彩などの想像力が豊かになってきているのだ。
「そういえばお主の軍旗、そろそろ変えたらどうだ」
四方山ばなしに花を咲かせていたはずの二人が、ふと会話を止めた。
「うむ…たしかに大分ひどい状況だな…」
どうやら夏侯惇の軍旗がかなり古くなっているらしい。は一度だけ軍事演習を遠目
から見たことがあるが、夏侯という旗は二つあって、どちらが彼の物か分からなかった。
「そうじゃ」
手を打って曹操が夏侯惇とを見る。
「お主の軍旗、につくってもらえ」
「わ、わたくしがですか」
突然のことには驚きを隠せない。仕事が終わったばかりだから…とか、急なことで
あるからという訳ではなく、夏侯惇の軍旗を織るということに対してだ。
慌てるを見て、夏侯惇は
「おい、急すぎやしないか」
「ん?別にいいだろう。なあ」
「あ、その光栄なのですが…」
「が?」
「ええと、軍旗と申しますと、戦では重要なものでございましょう。そのような物をわた
くしなどが…」
「お主の腕なら問題なかろう。それに、こやつの物となればなお良いのではないか」
からかい半分にそんなことをいうものだから、は顔を真っ赤にして「曹さま」と叫
ばずにはいられなかった。その様子に驚いた夏侯惇が、目を丸くしている。
「ほれほれ、そう怒るものではない。まあ、その顔も可愛いが」
「孟徳」
呆れ顔で怒る気も失せた夏侯惇が口を挟む。曹操は彼が反論しないのをいい事にどんど
ん話を進めていく。
「では、これは儂からの依頼ということで一つ請け負ってくれんか」
これには夏侯惇も驚いた。
「お前から貰えというのか」
主から賜るということは、特別な意味を孕む。夏侯惇のような別格の忠臣ならば、そう
珍しいこともないのだが、彼にとってはあまり意味の無いものだった。別に嫌なわけでは
ないが、物よりは盃を交わす方が好む所であるのだ。
「そうでもせぬとこやつは織らんからなあ」
「そんなことで人の手を煩わせるな」
「まあそう言うな。物持ちの良い忠臣への褒美じゃ…というわけだから、請け負ってくれ
るな、」
「か、かしこまりました」
ぶちぶち文句を言っている夏侯惇も、のはっきりした言葉を聞くと黙って申し訳無
さそうな視線を彼女に遣った。目を合わせることができなかったは、高鳴る心の臓を
抑えつつ、真っ赤な顔を俯けた。
次項