十一.

 戦から帰った男達を、曹操は出迎えた。
「ご苦労だった」
「ああ」
「少し苦戦したようだが…」
 夏侯惇の藍色に目をやりながら、曹操は問う。
「うむ。だが、突然いい風が吹いてな…荀攸に任せた」
「そうか。風か」
「ああ」
 ほかの者にも労いの言葉を掛け、夏侯惇だけを私室に招く。曹操が椅子に腰掛けると、 夏侯惇もそれに倣おうとするが
「いや、話はすぐ終わる。お主は立っとれ」
 とにべもなく言い放たれて困惑する。
「行って貰いたいところがある」
 仕様が無く壁にもたれ掛かると、曹操は嬉しそうな顔で、どうだったと聞いた。
「何が」
「恋文を送ったろう」
「…のことか」
「うむ。吹っ切れたか?」
 どうなんだ、と詰め寄れば、夏侯惇は困ったような恥ずかしいような顔になって、ぷい と顔を背ける。
「ええい、はっきりせんか。お主が吹っ切れんと、儂の努力は水泡に帰すのだぞ」
「なに?…いや、この際どうでもいいが、お前の横槍など知らん」
 さらりと努力を踏みにじられて、曹操は口惜しそうに、しかし楽しそうに「よく言う」 と笑う。
「とにかく、戦の話は一通り公達から聞いたから、お主はさっさと天の川でも何でも越え ていけ」
 ちゃんと話を付けろよ、と付け加えると、余計なお世話だと目も合わせずに夏侯惇は部 屋から出る。
「ああ、そういえば」
 出口近くの背中に声をかけると、彼は鬱陶しそうに顔だけをこちらに向けた。
「近々、娘が婚礼を挙げるのだ」
「…どこのどいつと?」
「まあ、特に意味の無い婚礼だ。娘がどうしても聞かんから、仕方が無く認めてやった」
「そうか。それは良かったな」
「ああ。手塩にかけて育てた大事な娘だからな」
「そうか」
「惇」
「なんだ」
 曹操が黙りこくると、夏侯惇はいぶかしんで体ごと彼の方を向いた。曹操は彼の目を見 て、にっと笑うと
「いや、それだけだ。もう行っていいぞ」
 と言って、奥に引っ込んだ。
「何なんだ、あいつは」
 訳が分からない行動に疑問符を飛ばしながら、彼は織姫に会いに走った。


「御免、織姫どのは居られるか」
 言うや否や、がたがたっと何かが倒れる音がして、夏侯惇はぎょっとするが、しばらく してが出てきたので、胸をなでおろした。しかし、次の瞬間唖然とする。
「しょ、将軍、ご生還まことに、まことに」
 言葉にならないのか、息を切らせてただじっと彼を見つめる。その顔は、いつもの白い 肌が血の気が引いて青くなり、さらりと流れているはずの髪も、あちこち跳ねて痛んでい る。
「お、お前、どうした!具合でも悪いのか」
「え?い、いえ別に」
 まさか寝不足でこんなになってしまったとも言えず、は髪やら頬やらを押さえつけ て恥ずかしそうに俯く。それが夏侯惇には著しく体調を崩して無理をしていると思われた のか、門前にも係わらず、がばっと抱き寄せられてしまった。自分の織った藍色が、体に 巻きつくと、言いようの無いくすぐったさがこみ上げる。
「すまん…」
「何を謝られます」
「待たせた」
「……わたくしなど、待ちきれずに文など送ってしまいました」
「…」
「謝らなければならぬは、わたくしの方です」
 がぐいっと頭を摺り寄せると、夏侯惇はいつしかしたようにその小さな頭を撫でる。
「いや、嬉しかった」
「…」
「あれが無ければ、俺は今ここにいない」
「申し訳ございませぬ…」
「謝るなよ。謝られると、あれが嘘だと思ってしまうではないか」
「そのようなことは」
 上げた瞳が、まっすぐに突き刺さる。この腕で折れてしまいそうなほどに小さな体から は考え付かないような力強さが、そこに全て詰っているようだった。
「断じて無いな?」
「断じて、ありませぬ」
 ほっとしたのか、彼の腕から少しばかり力が抜ける。はそれを感じ取ってか、彼の
腰に細い腕を回して抱きついた。
「では、お前は俺のものだと思っても?」
「将軍も、わたくしのものと思ってもよろしいですか?」
 思いもよらぬ返事に、夏侯惇は思わず固まったが、すぐに「ああ」と一言だけ答えて、 彼女の髪に口付けた。


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