「あ、伯父上。灯籠を買いたいのですが、見てもいいですか?」 
「ん?そうか。いいぞ。何処にする」 
 首を左右に振って、夏侯惇は良さげな店を探す。しかし、目当ての店が決まっているの 
か、覇はあそこで、と一つの店を指差した。数を数えていた弟に母上のためのお土産を買 
うよと言うと、威は直ぐに数えるのを止めた。ははうえ、とみやげ、と言う単語に反応し 
たらしい。 
 店は他の所よりも明かりが少なく、薄暗かった。しかし、拵えてあるものは中々緻密な 
もので、夏侯惇の興味をそそった。 
「おじさん、その海棠(かいどう)のものを下さい」 
「はいよ」 
「おじうえはどれにするの?」 
「ん?…ああ…」 
 店先に並ぶ灯籠を見ていると、どれを買っても遜色ないのだが、一つに決めるのが難し 
い。手前にある蓮華草のものも可愛らしいが、月並みだが桃と言うのも悪くない。の 
顔が浮かんできて、どちらか彼女に合うだろうかと思案する。悩む伯父の姿を覇は物珍し 
そうに見ていた。唸り出しそうな体の夏侯惇に、親爺が声をかけた。 
「旦那。桃は幸福を、蓮華草は恋を呼び込むものですぜ」 
「なに?」 
 可愛らしい桃よりは、清楚な雰囲気の蓮華草にしようかと思っていた夏侯惇はびっくり 
したように顔を上げた。いくら子どもの前とはいえ、恋を呼び込むといわれたものを買う 
わけにはいかなかった。後で従兄弟たちから何を言われるか、想像に容易い。 
「そうか、なら桃の方を頼む」 
「へえ」 
 甥っ子の分まで金を払うと、叱られますと慌てる覇の手を掴み、やけに大人しく灯籠を 
抱え込んでいる威を片腕で抱え、彼はその店から逃げるように離れた。親爺の眼が妙に、 
にやにやしていたからであった。 
「お、伯父上」 
「ちょっと我慢してくれ」 
 ずんずん人ごみの中を進んで行くと、それを抜けて川の近くまで来た。先ほどとは違う 
冷たい空気に、今が冬であることを思い知らされる。抱えていた威を下ろすと、彼は川沿 
いをとぼとぼ歩き出した。従うしかない兄弟は何も言わずに付いて行く。 
 久しぶりの城下で彼自身楽しんでいたのだが、あの目を見た瞬間に不愉快なものが全身 
を駆け巡るようだった。親爺が、大の男が灯籠を前に悩んでいるのを嗤ったのか、顔を上 
げてしまった時に見えたかもしれない隻眼を嗤ったのか。どちらなのか分からなかったが 
とりあえず不愉快であったし、屈辱的であった。それを悟られまいとして店から逃げてき 
たのだが、今になってこの兄弟に申し訳ないことをしたと思う。自分がこのように不機嫌 
では楽しむに楽しめない。 
「…伯父上」 
「ん?」 
 擦り寄ってきた覇は、彼に歩調を緩めてくれと小声で言う。首を後ろにやると、今にも 
こけてしまいそうな、足元の覚束ない威がいた。 
「弟はもう眠いみたいです。そろそろ帰っても…」 
「…そうだな」 
 甥っ子が彼の意を汲んだのかどうかは分からないが、今はこの幼い兄弟に感謝をしなく 
てはならない。ここでまたあの人ごみの中に戻ろうと言われたら、嫌とは言えないが、と 
ても気分の優れるものではなかっただろう。 
 半分眠っている次男坊を背中に負うと、起こさないようにゆっくり歩いた。伯父の分の 
灯籠も持っている覇は、二つがぶつからないように両手でそれぞれの物を持つと、背負わ 
れている弟を見て口元に笑みを浮かべた。 

***

 夢の中の次男坊を背負い、さすがに疲れが見えてきた長男坊を引きずりながら、夏侯惇 
は従兄弟の家を訪ねた。従者に声を掛けると、直ぐに従兄弟がやってきて「悪ぃ悪ぃ」と 
言った。 
「そっとしてやれよ。だいぶお疲れのようだ」 
「今日は本当にありがとう、惇兄」 
「よせ。可愛い甥っ子の為だ」 
「ああ。…あ、これ惇兄のか?」 
 覇が握り締めていた内の一つを指差して、夏侯淵は言う。桃の柄が見えると、夏侯惇は 
少し恥ずかしそうにそれを取った。従兄弟は何も言わずに夏侯惇を見送った。 
「によろしく〜」 
 去り際に放たれた言葉に、夏侯惇は振り返りもしないで腕を振った。 
 
「あら、お帰りなさいませ」 
 ”小母さん”は主人が提げている灯籠を見たせいか、少し声が高かった。出来るだけ直 
での所に行きたい夏侯惇は、彼女が口を開くのよりも速く被っていた笠を押し付けて、 
奥へと逃げ込んだ。 
 の部屋の前の回廊に足を踏み入れると、欄干に寄りかかっている彼女がいた。強い 
月の光に祝福されている彼女は、髪が短いことや、めがねをかけている事も相まって、神 
秘的に見えた。短髪から垣間見える鼻梁や頬が、暗闇に青白く光っていた。 
「あ」 
 はそう口を動かしたように見える。こちらを向いた彼女の方へ足早に近づくと、ず 
れていた上着を直してやった。急に月の光を遮られたは一寸、焦点が合わないようだ 
ったが、すぐに慣れて、彼が提げているものに目を遣った。 
「それは…」 
「お望みのものだ」 
 夏侯惇はにやりとして、灯籠をに渡す。彼女は目を細めてそれに見入っていた。そ 
して、ワンテンポ遅れてありがとうございますと言った。 
「これは、何の花ですか?」 
「桃だ。幸福を呼び込むそうだぞ」 
 灯籠をくるくる回しながら全ての面を観察するに、夏侯惇は買ってきて良かったと 
口元を緩める。思えば、彼女がこちらに来てから贈り物らしい贈り物なだはしたことがな 
い。彼女のことを好いているのは事実なのに、特別に何かを送るという事が恥ずかしくて 
出来なかった。今回は祭りと言う良いきっかけがあったから、なにも考えずに買ってこれ 
た。 
「火を灯しても?」 
「勿論。おれも見たい」 
 いそいそと薄暗闇の中に溶け込んだに続き、夏侯惇も部屋に入った。机の上に一本 
だけ立っていた蝋燭をそのまま入れると、ぼんやりとした光と共に、桃の花が咲いた。嘉 
弥はわあと歓喜の声を上げると、同意を求めるように夏侯惇の方を見た。彼が微笑み返し 
てやると、再びそれに見入ってしまった。放っておくといつまでもそうしていそうだった 
ので、それは吊るすもんだぞと声を掛けると、恥ずかしそうに灯籠をもって近づいてきた。 
「何処に吊るしましょう」 
「そうだな…」 
 部屋から出て辺りを見回す。彼女の部屋の前に吊るしても良いのだが、真ん前というの 
も芸がなかった。夏侯惇が悩んでいると、が回廊の真ん中辺りを指差して、あの辺に 
しましょうと言った。それは彼女と夏侯惇の部屋のちょうど間くらいで、ここに吊るして 
おいたならば、双方ともよく見える位置だった。 
 嬉しそうに灯籠を持ってそこに行くが、自分では吊るせないことに気づいて後方を見る。 
先ほどから平生ではありえない初歩的な失敗を繰り返すに、夏侯惇は笑みを零さずに 
居られなかった。灯籠ひとつでこれだけ喜んでくれるのならば、なぜ今まで贈り物をしな 
かったのかと自分を責める。 
「どれ、この辺か?」 
「あ、はい」 
 夏侯惇が灯籠を吊るし終えると、は可愛い、と呟いた。そして、一歩引こうとした 
のだが、その時体が変な方へ向いた。 
「わ」 
「おっ」 
 後ろに倒れそうになった彼女を支えてやって、この娘が体調を悪くしているのだという 
事を思い出した。土産物に喜んでいて、疲れを忘れていたのだろう。支えた肩はひんやり 
としていたが、顔は相変らず赤かった。 
「今日はもう寝ろ」 
「はい…」 
 控えめにくしゃみをすると、は潤んだ瞳をもう一度灯籠に向けた。そして、彼の腕 
から離れると、ありがとうございましたと言ってから、おやすみなさいと言った。 
「はい、おやすみ」 
 潤んだ瞳が妙に艶かしくて、夏侯惇は一度身震いするとそそくさと部屋に入った。

前項 おまけ